何を買うというのか?

2010.1.19日々のこと

 「他人様のCO2排出量を買う時代ってどうなんだろうか」と疑問に思う。それこそ「ただより高い物はない」という人間にしか出来ない価値基準は通用しないだろうし、全てコンピューターで金銭が決められ、その金銭の高低で価値の高低が決められてしまう時代が来るのだろうか? 既にそんな時代だとも言えるし、完全にその時代に進もうとしている今、私たちがしていることなど考えることが馬鹿馬鹿しいことだろう。そして、そんな時代の富裕層が教育を受けたとしても(そもそも「教育」が残るのだろうか?)、考える力を得ることが出来るのだろうか? 情報の獲得と整理で次に進むなんてゾッとするが、それに「ゾッとする」ということもわからないような人間に育つのだからそれはそれで幸せなのだろうが、しかし、「幸せ」という価値基準を考える力が残されているのか?

 こういうことへの懐疑的な考えは、政治家が危機を唱えるよりも昔から、文化人の中では当たり前に作品化されて発表されてきた。それはリメイクされたりと今の時代にも通用している。「政治的決定権のある国際会議の場に、政治家ではなく、各国の文化人が揃ったら面白そうだなぁ」と思いながら、胃炎で倒れていた。

 人生初の39時間睡眠。起床と同時によく働く性質なので、目覚めても痛みと寝ぼけで朦朧としながら考え事をしていたら再び眠りにつく経験は面白かった。それと自分の自律神経の強さにも驚いた。過去、帯状疱疹を放っておいて大変なことになってしまった時を思い出したが、あの時は面倒臭さが立ってしまってちょっと違ったなぁ。雪国の無人駅で一晩過ごさなければいけなかった時の逆バージョンに近かった・・・のか?

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