執着心

2009.12.25日々のこと

 物を無くす生活にも大分慣れて来て、今日はCDを処分しに行っていた。昔は「いつか○○するかもしれない」と思って多くの物を手放すことが出来ていなかったが、それは未来にも過去にも、そして今においても生きているということではなかった。今のこの瞬間の連続が過去となり、今となり、未来となることが理解できると、執着心というのも無くなっていた。そのことは20歳あたりには気付いていたが、身になっていなかったと思われる。

 そして、CDを売った帰り道、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出す」という言葉が舞い降りて来た。理解ったのだ。仮に扱うものが言葉であるのならばそれは哲学だろうし、作品であるのならばそれは藝術だろうし、人であるのならばそれは宗教だろう。ただ、それだけの違いだとしか思っておらず、全ては同じことを言っている。

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