信任とは「餅は餅屋」だった。

2018.6.9日々のこと

企業とは異なり、法人である会社に必要不可欠な「信任」について調べていると、いつも話している「餅は餅屋」と同じ考えだと、わかった。
自己利益を追求する性質の「契約」とは異なり、契約に記載されない職業倫理の上で成り立つ「信任」。
 
専門的な技術とその知識の大きな差がある専門家(依頼される側)と依頼主。
この依頼関係を専門家の恣意性による実験材料にされるか、依頼主の利益になるように動くかは、依頼を受ける専門家の倫理観に委ねられる。
 
なぜなら、依頼主は専門的な技術と知識がないから。
そのため、依頼主は、専門家を信じて、任せることになる。
ここで信任が効果的に働くためには、専門家を信任したと、依頼主は分かっていなければならない。
 
これが難しい。
 
信任後、依頼主の行動によって、職業倫理の高い専門家ほど、行動が変わってくる。
「バカにつける薬はない」と専門家に思われる行動を依頼主がとった場合、この関係性は終わる。
 
専門的な知識や技術を要する行動に、これらがわからない素人が質問ではなく、意見をしたら、どう思われるだろうか。
意見が続いたら、どのような変化が起きるだろうか。
 
初めは、分からない相手を諭す(叱る・説明する)だろう。
しかし、回を重ねるにつれて、意見への処理に疑いと愚かさを相手に抱くものだ。
これが、人間というもの。
相手を信じて、任せるということを、依頼人が分かっていないと、こういう事態に陥る。
 
「餅は餅屋」。
 
高度な専門家は、職業倫理を持っていなければ信任を受けられないし、依頼人は、信任ができなければ、高度な専門家に依頼を受けてもらえない。
良い仕事になるというのは、もちつもたれつの関係なんだ。


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