日本人の宗教観

2008.10.15日々のこと

朝からてんやわんやで午前が終わる。そりゃないでっせ、と言いながら、複写と創作。おそらく明日の午前中は『ヒトから人になるために』(仮題)の撮影ができるはず。『四十億年の私の「生命」−生命誌と内発的発展論』を読んでいて、ディヴェロップメントという言葉から写真の現像ということも少々触れており、そのプロセスを「魔法ではない」という説明をしていた。「写真」というのを媒体にして活動をしていらっしゃる方々は、そこらへんのプロセスを一種のメルヘンチックなものとして捉えているが、日本人は宗教の類いを煙たがるくせに、ちゃっかりとメルヘンチックなものは好むという勝手な気質がある。それも効率や割り切ってということは苦手なのにもかかわらず。写真学校時代の卒業論文(とはいっても論文とはあまり言い難い進め方だったが・・・)は、『日本人の宗教観』という内容にし、結論として、「日本人はアニミズム的な宗教観をもっている」という締めくくり方だったと思われる。僕は机や創作での道具類には生命が宿っている、もしくは生命に替わるものが宿っていると考えているのだが、やはり、創作に関わってくると、闘っているのだと感じられる。そこで出てくるのが「共生」ということなのだけれども、『四十億年の私の「生命」−生命誌と内発的発展論』にその言葉がでてきて、かなり驚くのだった。この本には、自分の考えていたことや必要となる言葉たちが頻繁にでてきて、正直、驚嘆させられる。けれども、楽観的性格というのだろうか他力本願気質というのだろうか、藝術や美術、写真の領域にはいないが、確実に今後の日本、世界、地球に必要とされる考え方を持った御方たちがその他の業界にはいらっしゃるということが、「自分はいなくても平気だな」と思わせてくれる。

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