将来の夢

2012.4.26日々のこと

最近、時間があると「夢」について考えている。眠っている時に見る夢ではなく、子どもの頃などに描く「将来の夢」という時の夢だ。
 
もうほとんどの事は叶えられ、戦争をなくしたいと欲を持ち、藝術にはその力があると信じているが、それが夢かと考えると全くしっくりこない。では、作ることはどうだろうか? 作ることが日常となりながらも、未だ冷める事が無い制作中の興奮と静けさ。これを止めろという方が無理な話であり、しかも日常と化したことで、健康と同じように不健康にならないとその尊さを切望するということは難しい。もちろん、進路を決めるときに行った制作禁止のことは今でも覚えているが、だからといって夢というのは少々異なる。
 
むしろ、あまり先を望まないように生きていることに気付いた。今が連続する事で時が生まれるという当り前のことと、今のこの中心を全速力でという姿勢の結果、中庸に辿り着いたのだが、そこで再び気付いたーー風になりたいんだ、と。
 
外的にも内的にも風を感じる瞬間がある。その時が好きであり、「風だ」と気付いていなくても風を感じている。時には撫でるように、またある時は吹き飛ばすように。たとえ気象的に風が吹いていなくとも内的に吹いている。そして、風になりたいんだということに気付き、それが夢かと考えるとかなりしっくりきたのだが、人間の体を超えるというのはなかなか難しいなぁ、と考えるようになった。
 
それでも、この歳で夢が見つかったのはにやけてしまった。

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