Archive for 2014.10

何も持っていなかった人間。

2014.10.13

ちょっとずつ、ちょっとずつだが、一週間に一度の間隔で家にあるものを身軽にしていっている。昔から家にあるのは作品、機材、資料、生活用品ぐらいだが、それでも「減らそうと思えば減らせる」ことに気がついていたのだった。そんな「頭の片隅にあった荷物」を片付けてしまいたくなったのだ。
 
僕らは生きているうちに、たくさんの想いや物を積み重ねていく。それは悪いことじゃないが、本来、人は何も持っていない生き物だった。「これは大事、あれも大事」と残しているうちに、「これも大事かもなぁ、あれも大事かもぁ」、「いや、これはもしかしたら大事かもしれないぞ」など、余分なものが付着してくる。
 
これは、人間関係も同じであり、「あの人のつながりのこの人」というように、たくさんのつながりが大切なように思えてくる。それはそれで悪いことじゃないが、身動きが取れなくなるようならば悪いことだ。
 
人も物も同じ——全ては、何も持っていなかった自分が根っこにあるのだ。

また1つ勉強。

2014.10.12

四苦八苦したiPhoneの機種変更が終了した。icloudのバックアップはこまめにとっていたけれど、itunes(pc側)でのバックアップを1年近くとっていなかったために、連絡先とメール以外は1年前のものになってしまった。なので、アプリのアップデートに時間がかかりながら、履歴は古いものになってしまった。
 
しかしだ、基本的に大事なことはメールを使っているし、連絡先は最新の状態なので、困りはしない(今のところは)。そう思うと、この2つが生きていれば、最悪、仕事はできるのだろう。
 
1つ勉強になった。これから、たくさんのアプリを消していこう。また1つ、身軽になれるぞ。

七転八倒。

2014.10.12

一ヶ月近く鼻の穴にヘルペスができ、携帯電話の調子は悪く、自宅のシャワーは水のようなぬるま湯しか出なくなった。
 
こういう時もあるが、出来ることなら、ない方がいいに決まっている。人を成長させることになるのかもよく分からない事態であり、そんな戒めを話せる人間は、どん底まで行ったことがない人間でもある。
 
こういう口調で攻撃しようとするのだから、僕も人のことを言えないな。
 
だが、久し振りに浸かった銭湯の湯船は気持ち良く、星は見えなかったが、露天風呂は格別に力を与えてくれる。風呂に浸かりながら、この先のこと、仲間や友人、知人たちのこと、全てが幸福にいくような心地になれたのだった。

家族と会う回数。

2014.10.5

「サザエさん」を見ながら夕飯を食べていて、ふと、「家族とあと何回、話をするんだろうか」と思った。毎年、盆と正月に帰っていたが、今年に限っては盆に帰っておらず、正月のみになるかもしれない。そして、正月に海外旅行をしたいと思ってもいるので、もしかしたら、あと数年は会わなくなるかもしれないのだ。
 
人はいつ死ぬかわからない——だからこそ、死ぬ瞬間に笑っていられるように生きている。しかし、それは自分に限ってであり、人の死に出会うといつも悔しい想いが混ざる。たとえ笑って見送ってもだ。
 
僕には兄と姉がいる。姉が結婚をし、姪が生まれてからは姉とは良い関係になっているが、兄とは15年以上も会話もないし、会ってもいない。一度、兄の結婚式の写真を見せてもらったが、僕は呼ばれていない。それでも、彼や彼が築いた家族は幸せであって欲しいと願うのは、やはり、一緒に飯を食い、遊んだ記憶があるからだろう。
 
家族は元気だろうか。今は同じ雨を感じているはずだ。僕は幸せだと伝えたい。

忙しさ。

2014.10.5

久し振りに自宅のベランダで呑んだ。やっぱり、この場所が好きだ。広い訳でもなく、道を行き交う人々には見られるし、柵から覗く外はまるで動物園の動物のようだ。それでもこの場所が好きなのだが、とても久し振りなことに、自分の忙しさに驚いた。
 
もう少し、余裕というか、ゆっくりとした生活をしてもいいかもしれない。
 
時間を変えて、昨日マッサージに行ったら、半年振りくらいの人が施術をしてくれた。「こんなに肩が凝っていましたっけ?」、「前は下半身の関節が柔らかかったような」など、体が固くなっていることを指摘される。
 
夢の中でも仕事をし、常に仕事をしている状態——天才の凡人の違いで「努力の時間の違い」があるように、このように仕事で全てが進んでいる僕にとって、「仕事もほどほどに」と叱ってくれる人がいるのは、ラッキーなことだ。