Archive for 2013.6

相反することじゃない

2013.6.21

言動があるとき、常に何かしらの答えが浮かんでいる。それは、行動の軸となる指針だ。その答えを思い込んで、突き進むゆえに行動が早くなるが、かといって、偏屈にならずに済んでいる。
 
相反することのように思われるかもしれないが、理に適っていることが最近わかった。答えを持ち、その答えに自信を持っていたら、良くなるための変化を恐れない。それが、意固地にならずに済むことに繋がっているのだ。変化を恐れないのだから、会話が成り立つ。
 
けれども、会話が成り立たない場合というのは、一方ないしは双方に答えが曖昧で、指針が立っていない状態なんだ。そのため、少なからずあるように思われる指針を、どうにかして倒れないようにして、結果、意固地になり、言語が飛び交うだけのやりとりになってしまうのだろう。
 
言葉遣いだけ立派になっていく人を見ていると、指針がないように感じるんだよな〜。

笑顔で死ねる自信も立派な指針だぜ。

強風でしたね〜

2013.6.19

強い南風を、ほんのちょっと体感すると楽しい気分になります。

これ、何でもそうですね。

くせのある食べ物も、ちょっとだから美味しいけれど、毎日たらふくは嫌でしょう。

でも、続けても平気なものがたま〜に出てきます。僕はそれこそが「好きなもの(こと)」だと言います。

そうして生活をしていれば、好きなことでも強風が吹き続けるときがありますが、やっぱりね、乗り越えられたりするんですよ。

「好きなことを仕事にしないほうがいい」という警句はよく耳にしましたが、好きなこと以外は仕事にできないっすよ。

無駄じゃないぜ

2013.6.19

座り過ぎていたら、お尻から尾骶骨あたりの筋肉が痛くなってしまいました。

昨年の腰痛から、腰は気をつけていたのですが、まさか、お尻とは、、、

しかし、お尻というのは不思議です。普段は脂肪ばかりですが、運動をすれば、キュッと締まった感じもするんですよね。そして、今回のように痛んだりもします。

脂肪というと、のほほ〜んとしていそうですが、座っているときは体重を支えているし、転んだときのクッションの役割もしていて、役立っているんですよね。

無駄を省けば上手くいくとは限らない、代表例のようにさっき思いました。

拠り所は自分

2013.6.17

そういえば、友人がお酒を呑む頻度を減らしたと言っていたんですが、その理由が「美味しさが鈍る」と話していたのが、嬉しかったです。感覚を大切にするからこその理由ですよね。
 
ライフスタイル提案型ショップというのが、僕は苦手なんですが、その理由は「足す」という選択肢は以前から変わっていないということです。購買し、消費する。その中身や質は以前よりも高いのでしょうが、拠り所にするお店や商品が変わっただけとも言えなくともないわけです。
 
拠り所にするお店や商品を選んでいるのは「自分自身」です。それにも関わらず、拠り所にするのが、お店や商品といった「外部のもの」です。それは、子どもが親を拠り所としなきゃ生きていけないことと同じように。
 
でも、大人は「引く」選択肢を選べるんです。選んでいる自分自身を拠り所にすることができるんです。
 
酒量を減らして、美味しさという自分自身の感覚を大切にした友人の行動、僕が長く付き合う人達はこういう人が多いのも、僕のラッキーなところです。

自然なことを大切に

2013.6.16

梅雨のあたりからの雨というのは、温度が変わります。不思議なものでこの時期の雨でずぶ濡れになるのが、昔から好きだったりします。ま、その後に温かいお風呂がないと風邪をひいてしまうんですけどね〜。
 
昨夜、久し振りにそういう状況になったのですが、やはり楽しんでいました。
 
雨というのは、重力の賜物です。上から下へ動いていき、触れれば濡れます。そういった「自然なこと」というのを、社会を前提とした生き方を重ねるうちに忘れていきます。
 
この、自然なことって他にもありますよね。それは「感情」です。僕がコストとメリットを考えるときに、必ず「感情」を入れておくのは、とても自然なことなんです。どれだけ、時間・労力・金銭でメリットを得られても、感情でコストが上回ればとても辛いものになります。
 
これ、本当にたくさんの日本人が忘れているように思うんですが、感情を基盤にできることを思い出してもいいはずなんです。
 
やっぱりね、理想論と言われようが、人と関わるときに一番大切にしている部分です。
 
なんかね、昨日観てきた『はたらきたい展。』にも同じ匂いがしました。日本もまだまだ捨てたもんじゃないぜ。