揺さぶった先の今、希望

2013.2.25日々のこと

先週は運動をせずに過ごしていたら、心が貧弱になっていくのが手にとるようにわかった。やりたいことがなくなったとしても、それが死ぬ理由へ直結させる必要はなく、体を揺さぶれば揺さぶった先の円が今となり、理由はそれだけで充分だ。揺さぶれば必ずといっていいほど、作品が生まれている。藝術だとしても、クライアントワークスだとしても、体を動かした先に作品が生まれる。それが希望になることも知っている。
 

 
僕は写真で美術作品をつくるし、商業美術であれば印刷物もウェブも広告写真もコピーも僕の領域になる。しかし、どんなに媒体が変わったり、増えたりしても、クライアントなりユーザーなりの届ける人がいるのならば、その人達への愛を中核において制作しているといっても大袈裟ではない。
 
どんな会社かという会社の中身は重要だが、外側の、行政に提出される書類に記載されているもの(社名、資本金、従業員数など)はあまり重要ではなく、打ち合わせをしている人、その会社で働いている人達、広告や商品、中身を届けたい人達が重要だといつも考えている。企業戦士になるための志はちょっとあれば充分だ、それよりも人への愛情が必要だと信じている。
 
そう考えれば、アートもクライアントワークスも同じように見えてくる。

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