使命を果たしたとき

2013.2.24日々のこと

いまや文章を書くのも1つの作品をつくるのと同じような感覚になっている。始まりは勢いと直感を頼りに書上げ、その後に推敲を重ねて滞らないような、流れるように細部を調整する。視覚作品と異なるのは、文章は伝えようとする姿勢がまだ強い(言葉の特性上、当り前なのだが)。それが力みにならなければ良いが、先日アップした文章で、ひとまず僕が普段話していることの大半は言い尽くした。「人間はいつ死ぬか分からない」ということについては触れなかったが、それは主旨が異なるだろう、今回は割愛した。
 
そして、こうやって何かを作ったり、話したりというのは「やり残したこと」をなくしていく作業でもあるのだろうと感じるようになった。その量が知覚できるほど減っていることに気付いたのだった。「人は使命を果たしたときに死を迎える」と何度か聞いたことがあるが、本当にそうだろうか? あまりにも辛過ぎる死というのもあるが、それも使命だと言えるのは、死んでいない人達だけだ。ただ、(藝術、クライアントワークス関係なく)作品が完成した際に感じる「魂が減る感覚」があるのも確かだ。そういった時の行動は充足感がある。しっかりと対価を支払ったということだろう。
 
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