取り繕っても意味がない

2013.2.21日々のこと

以前、海外の方と「感情の表し方」について話していた際、日本人は感情を表すのが下手なのではなくて、感動を表すのが下手なんだろうと思ったことがある。
 
もしもFBの「いいねボタン」を押すのと同じ位の感覚で、感動を声に出すことが出来たら、世の中はもっと良くなると考えている。その裏返しでもあるが、「いいねボタン」の押し(押さない)方を見ていると、その人の傾向が見えてくるので、これも面白いな~と思ってFBを眺めている。
 
金銭利益が出るようなものにしか「いいね」を押さない人は、やはりというか、「ここで僕にお金を出させたら格好悪いよ」ということを平気でやってしまう傾向があったり、無闇矢鱈と「いいね」を押している人と話していると「ぬるいなぁ」と感じてしまう。そうしたら、どこかの雑誌で著名そうなディレクターが「公平性を保つために『いいね』ボタンは敢えて押さない」なんて意味不明な発言をしていたり。
 
どんなに綺麗事を並べても、どんなに大きい会社に入っていたとしても、本当に些細なことで人間が表れる。だから僕は常に「人間の話」をする訳で、どんな案件だとしても、当事者の考えていることや理想としていること、自分がすることを話さなきゃならないと考え、実際にそうしている。それは正しいとか間違っているとかではなく、「嘘がつけない話題」ということであるのだが、キャリアや優しさよりも、嘘をつかない人間が結局最後は信頼できる。
 
これが今まで色んな人と会ってきた答えです。
 
追記:最終的には嘘をつかない人間の方が優しいし、キャリアも持っているしね。

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