「背伸び」と「ありのまま」

2013.1.22日々のこと

人は背伸びをする。「高い」ということが一つの価値として見出されている間は、背伸びをして、自分を良く見せようとする。そのことで向上心が高まったり、実際に力がついたりして、いつの間にか高い壁も背伸びをせずに超えられるようになる。
 
しかし度が過ぎると、梯子を掛けて高くしようとしてしまうことがある。物質的に、高いところに手が届くようにするためには必須のことだが、精神的な話の場合では、それは「嘘」になる。物質的な梯子なら「これ以上高いと落ちて大変なことになるぞ」と直感的に気付くが、精神的な梯子に登ってしまうとそのことに気付かなくなるので、そこから生まれるものは形骸化している。
 
今では聞かれなくなった「分をわきまえる」、「身の程を知る」というのは、そういった若さ故の気付かないで「嘘」になってしまうことを、軌道修正するものだったように思われる。
 
現代で、そのような箴言や警鐘を聞かなくなり、たとえ言われたとしても似つかわしく思えないのは、日本が高さだけを求めて、人よりも高いことを美徳としてきた結果なんだろうね。
 
一方、若い人達から聞かれる「ありのまま」というのも、どうやら高いことを求め過ぎた反動のようにも見える。ありのままで良いと言ったり、相手に求めたりするのは、「自分は成長しなくても構わないけれど、君達はそんな自分を受け入れてね」ということであり、とても利己的な主張だ。また、全ては変わり続けるのが理な故、とても不自然なことでもある。
 
どちらも、「無理のないこと」や「適切なかたち」ということからは程遠い。健全であるためには、ある程度の負荷は必要不可欠であるし、その負荷から有用な道筋(答え)に進むためには、無理なく負荷を逃がすことが適切な方法だ。つまり、中庸に持っていく力が必要になるのだが、反動ばかりのこの世界、人々に対して、残り時間でどう相手をしていこうか。

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