責任?

2012.12.30日々のこと

「責任」という言葉を使う理由が、腑に落ちないことが多々ある。大抵の場合は、負い目を背負いたくないときに相手になすり付ける場合だったり、仕事や人間関係でプレッシャーが掛かるときなど、重荷を背負って「大変だな〜」と思う際に、「責任を感じる」や「責任がある」と話されている。
 
僕は上記のような場合に、責任なんて言葉を使っていないような気がしている。負い目を背負いたくないときの責任のなすり付け合いでは、前提として、失敗(負い目)が生まれた原因が必ず存在し、そこを考慮に入れられなかったのは当事者全員の能力である。僕は、能力が欠けていたのなら補うか、成長すれば良いだけだと考えている。
 
仕事や人間関係の場合では、プレッシャー(重荷)を感じた際の「大変だな〜」が、理から外れていたり、合理的ではなかったり、理念との辻褄が合っていなかったりすれば「馬鹿だな〜」と思って、話して、引き受けないか改善させて進めればよく、理や辻褄が合っていたら「大変だな〜」は、ヒリヒリした緊張感の中、楽しんでいる。
 
それで気付いたことがあったのだが、プレッシャーを感じた際に「責任」という言葉を使っている人達の表情は暗い。つまり、この状況を楽しんでいないように見えるのだ。そこで、その人達が感じる責任の在処を聞いていると、「失敗したときに(自分が)背負うもの(負い目)」を考えた結果、暗い表情になっているようだ。
 
なるほど。暗い表情になっている人達というのは、失敗した時の原因は全て一人(一つ)にあると思っているようだ。ここで、上述の話にループするのだけれども、暗い表情になっている方々って、失敗した際の負い目を、誰か(何か)になすり付けていないか?
 
僕も何かを進めるときに、失敗したときのことを考えるけれど、どんな方向から考えても「それだけで死ぬ訳じゃないしな〜」という結論に至るし、プレッシャーからの楽しさが勝っていればやりたくなり、やってしまう。楽しさを感じないときというのは、先述の通り、理から外れていたり、理念との辻褄が合っていないときなので、やらないということになる(話しても伝わらない相手といる徒労を、避けられるようになったのは経験なんだろうね)。
 
そして、失敗したときのことを考えて、暗い表情になっている人達の失敗の先は「生き死に」に関わることではないことが多い。つまり、「自分が死ぬこと」を考えていないのだ。ここで、僕は「な〜んだ、実際問題を考えていないだけじゃん」と理解するのだが、ほらね、「責任」という言葉で片付けることが出来ないでしょ?


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