やっぱり、反応があるって嬉しいことですね〜

2012.12.17日々のこと

会話をするとき、「単語のすり替えをしないこと」に気をつけている。
 
たとえば、「写真」と「写真家」は異なり、写真と言えば領域や媒体のことになり、写真家と言えば職業名になる。この違いを理解せずに会話をすると、どこかチグハグな進み方となることが多く、「写真」と「写真家」以外にも「デザイン」と「デザイナー」の違いや、「美術」と「藝術」の違い、「恋」と「好き」の違いなど全ての事柄に当てはまる。
 
この年齢になってくると、周囲でも結婚の話題が増えてきて、世相を問わずに恋話は人気なようだ。そこでは大抵、「愛」と「恋」は違うと思われているのに対して、「恋」と「好き」というのは同一の意味として扱われている。けれども、「恋をする」と言うけれど、「恋になる」とは言わない(「恋仲になる」とは言うが)。同様に、「好きになる」とは言うけれど、「好きをする」とは言わない。
 
ここで、それぞれの言葉を分解してみると「○○をする」と「▲▲になる」という使い方があることがわかる。○○や▲▲に他の単語を当てはめてみると、「宿題をする」や「料理をする」、「一位になる」や「病気になる」という使い方が見つかり、「○○=対象」、「▲▲=状態」ということになるだろう。つまり、同義ではないことが考えられる。
 
これを踏まえると、好きになっても恋をしないことは出来るわけで、30億人を好きになっても一人にだけ恋をすることは出来るのだ。
 
会話が、単語を組み合わせて言葉を話すことなら、上記のようなことは当り前のはずだが、仕事をするようになっても出来ないのは、言葉が舐められているのではないだろうか、そんなことを思ってしまう。それでも、表情や雰囲気を見ることが出来ないSNSなどで言葉が溢れているのは、「自分の考えは簡単に伝わる」と思われているのだろうか。考えを伝えるのって、至難の業だぜ。だから、暑苦しくても熱量が感じられるように話すことが必要なんじゃないですかね〜。ぎゃーぎゃー喚けとは言っていないんだけど、スカしていたら喚く以上に伝わらないんじゃないですかね。「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」とマザー・テレサさんも映画の中で言っていたような。
 
(HPリニューアル後、たくさんの言葉を頂いてありがとうございます。頑張りますぜー)

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