一服する時間

2012.6.19日々のこと

パーティ事も今月はもうなさそうだなということで、クリーニング屋さんに洗濯物を出していた。そこで、洗濯物が仕上がってくる日を告げられるわけだが、数年前よりも早くなっているような気がしたのだ。そして、「本当はこの日だけど、前日の夕方には仕上がっている」とも話されたのだが、ここでも瞬発力勝負が働いているのだなと思った。
 
今まで、3つの場所(実家を含めず)に住んだが、どこもクリーニング屋さんは多かったような気がする。そりゃあ、いくつもある洗濯物を抱えて歩いたりするのは面倒だが、それでも多いよなーと素人なりに思ってしまう。
 
そこで、わかりやすい競争が始まる。価格と納期という、わかりやすいお得感を抱かせるかという競争だ。そりゃあ、仕上がりが早いと嬉しいこともあるが、遅いことでとても困るというのは、僕を含むお客さんの側にも何かしらの問題があるはずだ。そして、実はこの「わかりやすい競争」って人間を馬鹿にしているような気がするのだ。「コレとアレがあれば満足なんでしょ」と、どの人間にも当てはめて言っているようなものだ(そういう人もいなくちゃ面白くないけれど)。
 
今月初めまで洗濯機が使えずに、マンションに仮設していたコインランドリーを使っていたのだが、世帯数と設置数のバランスの悪さから度々、ランドリー前で待っていた。待っている時に、同じように待っている人や洗濯が終る頃にやってくる人と話をしていたことを、クリーニング屋さんで思い出していた。
 
洗濯物を出しにいったら、一服させられるクリーニング屋さんって出来ないかな、と考えていた。「ちょっとアンタ、お茶飲んでいきなさいよ」と有無を言わさずに引っ張られるクリーニング屋があってもいいよなぁ。

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