不信のコスト

2012.3.18日々のこと

出掛ける際、とうとう財布と携帯電話のみを持つだけになり、手ぶら生活に拍車がかかっているが、終いには「何も持たない」で出掛けたいものだ。土の上ならそのままで絵が描ける、石があればコンクリートでも絵が描ける。何も持たずとも頭の中で絵が生まれている。十分過ぎる能力だ。防犯の面で気をつけよと言われるが、たしか養老孟司さんの著書で「不信はコストを生む」と書かれていたと思うが、まさにそうだと考えられる。打ち合わせ中にトイレに席を立つ時、テーブルに置いた財布と携帯電話をそのままにして立った方が、無駄な動きがなくトイレに行ける。善悪は人の中にあり、法律で裁けるものではない。ただ、悪事を働けば、その人の中には必ず引け目が生じる。もしも、その人にとって悪事が善事であるならば、どうしようもない。認めるか、復讐者になるかのどちらかだ。

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