畑は違うけれど、同じ平等性

2011.8.26日々のこと

 昨日は畑違いの人達と飲んでいた。畑違いであろうとなかろうと、「人間の話」が出来る人と話をするのが好きだ。好きというのは、生産性のある会話が出来るということであり、反面教師的に生産性を生み出さなくて済むという意味で好きなのだ。何故か知らないけれどこの世に生まれ、生きることを強いられ、いつの間にか死んでいる。生まれては死ぬというのは、全ての人間において平等であり、有生・無生問わずに、有形・無形問わずに平等であり、万象一切は生まれて死ぬ、朽ちる。そこで、自分が「どう生まれ、どう生き、どう死にたいか」ということへの考えについて話が出来る人と会っている時が、好きだ。
 
※ MP1で9月1日からFFLLAATTで展示をします。何卒、よろしくお願いいたします。
 
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