遊びの経験が変えたこと

2011.6.25日々のこと

 今朝は晴れ間が見えていたが、今はもう雨が降りそうな気配だ。雲を眺めていると「よくもまぁ、飽きもせずに流れるね〜」と思いたくなるが、同時に刻一刻と変化する雲に心を奪われているのも事実だ。
 
 展覧会を1つ観に行って収穫もあったのだが、それ以上に、会場を出て階段を降りようとしたときに母子に道を譲ってもらったことの方が心に栄養を与えてもらった。『虫眼とアニ眼』で宮崎駿さんが「今の若い人はなかなか子どもを作らないから、いつまでたっても自分のために作品を作ろうとする」、「近所の子どもたちが喜んでくれるように作る」というようなことを話していて(言い回しは違うと思うけれど)、とてもよく理解したことを記憶している。僕も自身の子がいるわけではないが、周りに早婚なども多かったのか、子ども達と遊ぶ機会がちょくちょくあるし、あった。そのことが僕の作ったものを見せるときの態度に大きく変化をもたらしたのだが、やはり、この世の中だ、藝術と呼ばれるものぐらいは、触れた時に「生まれてきてよかった」と感じて欲しいのだ(「生きていてよかった」ではなく)。それは、数値上で表される子どもの数ではなく、直接的に遊ぶ子ども達のことを念頭に置いている。
 
 それは、美術業界においては異質とされる態度なのはわかっているし、ということは(計測していないけれど)絶対数では僕は少数だろう。しかし、絶対に僕の方が強い気がするのは何故だろうか。勝ち負けで言うことでも、何をもっての勝ち負けかはよくわからないが、負ける気がしない。
 
 やはり、今日の収穫は展覧会よりも母子との出会いだ。

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