穏やかな阿呆の日

2011.5.4日々のこと

家事と並行して制作や作業で朝が終わり、資料も遅れながらも進む。先日、友人と呑んでいて「(作品の)アイデアが浮かばなくなったらどうするの?」と尋ねられ、「そしたら違うことをやればいいさ」と言ったが、あながち本当だ。作品を創作しているときというのは毎度「これが最後」と思って挑まなければ、消化不良に陥るし、挑む姿勢が問題点と次のアイデアを自分で見つけられる理由だろう。
今、手掛けている「with 10 years」「四季無常図」も「眠りの間にも魂は燃えている」も数年前の自分であれば創作することは出来なかった。藝術はデザインと違って「自分発信、他人仲介、自分帰結」であり、自分が問題点となり答えを見つけていくことを、やり続けることが出来るか、否か。そして、「自分=他人」ということがわかれば、その強度は増し、「他人=自分」を意識しない表面上の他人と会っていくことの方が消化不良に陥っていく。藝術家の孤独が増していくのはこういうときだが、原因はいつも阿呆らしい。

コメントを書く