膜に包まれた狂気のような夢

2011.4.2日々のこと

 人生初の食中毒になり、一度の食中毒でここまで体力が落ちるものなのかと驚いた。驚いたのはそれ以外にもあり、昨年は胃炎で寝込んだが、今年は楽しんでいなかったのだ。やばい状況に慣れてしまっているのか、生来のものなのかは知らないが、僕はやばい状況になると楽しんでしまう性質がある。しかし、今年は苦しみ、寝込み、点滴を打っている間も、どこかで雑念が入ってくるのだ。去年から今年にかけて何かを失ったのか(変わったのか)、それとも徐々に失っていった(変わっていった)ものがこの段階で気付くに至ったのか・・・。それは、寝込んでいる間に見た夢の中でも生じ、夢の中では嗅覚がほとんど機能しなかったはずが、充分に機能したのだった。そして、度々見る夢の内容も平和とは言い難い行いをする自分がおり、そこでも享受というものは何もないのだ。何かを失ったのか、感覚が変わったのか・・・。人生がただ哀しみを積み重ねるものだとしたら、「哀しみ=哀しみ」としてしか捉えられないのなら、そこに深みは出てこないのではないだろうか。

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