当たり前の理由

2011.3.26日々のこと

 何故、いまさら「作品を創るということ」という至極当たり前なことを書いたかというと、日本に疑問を持つからだ。それは震災前も震災後も変わらず、震災後は言動がわかりやすいので目につくという点で、書いたのかもしれない。

 震災直後は不安や苛立ちが東京を取り巻き、そんな状態は1週間近く続いたかと思えば、その状態に我慢が出来なかったのか、はたまた反動なのか「いつものように」と言いながらいつもはしないであろう作品を売ったお金を寄付したり、「がんばろう」と無闇矢鱈と言い放ったり、欲の塊の普段の姿を見たら安心したりと、日本人に疑問を抱いていた部分を露骨に見ることになっている。

 そして、このような時にしか生じない現象なのだから風化はするだろうし、今しか寄付や募金をしていない人達はすぐにしなくなるだろう。現に、遠い国のNZ地震のことは既に話題の外だし、シエラレオネなどの貧困国に寄付などをしているかというと、そんなことはない。

 作品を創るのなら作品で感動してもらって、勇気づけるということが私達の仕事のはずだし、もしも、今回のことから募金を始めた人達がいるのなら、これからも続けて欲しいのだ。「今」は今しかないが、「今」が続いて生活になるのだから。今回のことから考え始めるのは良いことだと思われるが、続けなければ、1つのブームとして終ってしまうのだ。


四季無常図のさわり部分

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