動画も静止画も

2010.10.20日々のこと

 写真をやっている人間が安易に動画を作ってしまうことに抵抗感を覚える。この抵抗感はスライドにおいても同じであり、本来、僕達は静止画を一生懸命に創作している人間であったはずだ。道具が近いからといって片手間で出来るほどの領域ではないことは、静止画をやっていてもわかるはずである。それは逆の立場からも言えて、動画といっても1コマずつ切っていけば静止画になるが、静止画として良いもので1つの動画を構成してしまっては話(流れ)に抑揚がなくなり、退屈極まりないものになる。

 だから初めて映像を作ったときは、映像作品としての常套手段を踏んでいったし、総合芸術と言われるが所以も理解できた(総合≠最高)。

 その後はそれまで以上に、映像作品(映画を含む)を観る時にカット割り、話、音響、配役、技術などに気を配るようになり、良い作品と出会うと連続で3回(楽しむ→どこが良い(悪い)のか調べながら観る→それを確認しながらもう一度楽しめるかどうかを試す)は観てしまうようになった。今までも良い作品は複数回観ていたが、連続で観るようなことはなかったし、こうするようになってからは、「絶対にラストは言わないで下さい」という謳い文句の映画は、作品として駄目だと今まで以上に思うようになった。そういう奇をてらった内容というのは一度観れば十分になってしまい、普通にしているのが一番良いということが裏付けられるだけなのだ。

 これは静止画においても同様であり、結局、名作の構図は決まってくるし、変に意固地になる必要はないのだ。心持ちを軽くして、本当に伝えたいことだけを想って作品と向かい合えば勝手に作品は創られていく。

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