本当の挫折がチャンス

2010.9.10日々のこと

 drunk afternoonの方で「諦める」ということに書かれていたので、僕も「諦める」ということについて書こうと思う。

 以前にも書いたと思われるが、「諦める」は、「諦観」という悟りの1つが語源らしい。そして、諦観は「明らかに真理を観ること」であり、入念に観察し、考えることであった。そして、悟り、世の中の事情にこだわらない態度でいられることとして、「あきらめて、超然となる」ということになる。最初の「明らかにー」が、「あきらめる」になったらしく疑わしいが、まぁ、言葉の響きはそんなものなのだろうなぁ。

 そして、大切になってくるのは諦めることが、他の可能性に気付くチャンスだということだ。現代的な意味での諦める状況というのは、何か挫折があったり、悪いことがあったり、後ろめたいことがあったりする場面と遭遇して生じるものだろう。しかし、先にも書いたが、「入念に観察し、考えて、悟りを開く」のだから、自ずと「何故、そのような状況になったのか」や「自分のどこが悪かったのか」など、環境と自己について考えることになるはずだ。つまり、「今回のような状況では悪い結果になったけれど、○○したら良い結果になるんじゃないか」や「自分はこういう人間なんだな(こういう性質を持っているんだな)」ということを考えつくチャンスなわけだ。

 ということは、本当に諦めて、挫折をしてしまったら、次に行こうと立ち上がることをするのだ。もしも、そのままずるずると進んでしまったのなら、それは本当にショックな出来事だったとは言えないのだろう。そして、どこかで「自分は悪くない」と思い、別の事に諦める理由をなすり付けていないだろうか。

 立ち上がった人間には、けっこう後ろめたい過去があるもんだ。けれども、その度合いが強過ぎたお蔭で(?)、こうして自分のやりたいことをやりながら、自分の役にも他人の役にも立つことができているのだ。

2 コメント to “本当の挫折がチャンス”

  1. ryusuke Says:

     最初の、語源?悟りの話おもしろいです。前のページに遡ることって大事だし、新たな発見がありますね。

    書かれた内容は、僕がdrunkafternoonの方で書いたことの、一つ先の段階ですね。

    >「入念に観察し、考えて、悟りを開く」のだから、自ずと「何故、そのような状況になったのか」や「自分のどこが悪かったのか」など、環境と自己について考えることになるはずだ。

    そうなんですよね。でも、これって出来ていない人が多いと思います。そして、「別のことに諦める理由をなすり付ける」というのもズバリですね。自分の中だけで受け止めてこそ、自分に還元できる部分があるのだと思います。そうでなくても還元することはできると思いますが、その率は低くなるでしょう。

  2. エグチマサル Says:

     僕は案件の度に「一番重要なこと」、「自分に求められていること」、「自分のやりたいこと」を考えます。それらを1つ1つ考えていって、「やりたい!」と沸き立つものがなければやりません。この「一番重要なこと」というのが、「〆切を守りながら、いいものを作る」であることが多いような気がします。

     作品にしても、依頼仕事にしても必ず何かしらの制限や〆切があって、その中で考え、全力で挑めば挑む程、完成した後に訪れる「もっと出来たんじゃないのか?」という疑念や苛立ちは高くなります。言ってしまえば挫折の連続です。そして考え、次に挑んでいる内に、作風も質も、集まってきてくれる人の数も増えてきたのだろうかと思えます。

     そうじゃない人との違いを考えてみると、僕は「時間がない」、「お金がない」、「ネタがない」などの言い訳を言った事がないということに行き着きます。人がそんな言葉を聞いたら「あぁ、こいつはここまでなんだな」と思うのだから、道が閉じていくのは当然なんですよね。でも不思議と、僕はそれらの文句を言った事がないのです。

     「できません(知りません)。教えて下さい」はあるのですが。そうこうするうちに力がついてきたのかもしれません。

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