二転三転の話

2010.4.12日々のこと

 どうやら「愛している」は良いらしい。組作品には大抵「主役級の1枚」というのがある。全てが同じ質量であったとしても、1枚を選ばなきゃならないっていうときに露呈されてしまうことだ(たとえ作者以外が選んだとしても)。

 例えば「美しい人」のスライドであるが、Cさんの画が「主役級の1枚」になっている。出来た時のグッと来た感覚が他のものよりも強かったという個人的な要因が絡んでいるのかもしれないが、ドン!!とも見せられるし、スッとも入って来ることが出来る。しかし残念なのが、デジタルにも関わらず、プリントに大変神経を使うということだ(機器のコンディションや設定など)。

 話は変わり、20代後半になった頃から、花見はどんちゃん騒ぎよりも、さしでしっとりと呑み交わす方がグッと来るようになった。

 再び話は変わり、原発の本当の恐ろしさって事故もさることながら、使用されたプルトニウム、ウランが兵器として運用されることではないだろうか。正常に稼動すればするほど兵器が生まれる、この連鎖を想像しても見えていない場所で起きている戦争に、自分が関係していないとは言えないのではないだろうか。自分が生きていればいるほど必ず何かが死んでいる。この対価を私は払っているのだろうか、とよく疑問になる。

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