当たり前のこと

2010.1.20日々のこと

 どうやら僕は楽天的らしい。

 けれども、これから挙げる3つのことを本当に理解するとそうなってくるものだ。

1、人は生まれて死ぬ。絶対に。
2、人はあっけなく死んで、あっけなく生き残っている。
3、今のこの瞬間の数珠つなぎが時間となり、日々となり、過去となり、未来となっている。

 これらがわかると、今を一生懸命生きるしかなくなり、一生懸命生きるためには正直に生きるしかなくなり、その結果、病気になろうと死ぬことになろうが、まぁ、悔いることはなく、その瞬間も一生懸命考えて行動する、つまり、一生懸命生きているのだ。しかし、これらの言葉を大抵の人は理解するのだが、その理解の仕方がほとんど表層的でしかない。しかも、聞こえが良いのだろうか? ひどく納得したような感嘆したような体を装うのだけれども、相変わらず「死」を拒否する発言を繰り返す。「死にたい」のではない、「生きたい」のではない、人間として生きて死ぬことを全うしようとするだけなのだが、そうするとやはり「精神的に向上心を持つ」ことに自然となっていくものだ。

 加えて、最近ドラマで「正直に生きる」みたいな趣旨のものが何本かあるらしく、この先どう進んでいくのかは知らないが1本は確実に間違っている。僕がよく言っている「やりたいこととやるべきことの違い」や「我が儘と信念を通すことの違い」でこれらを勘違いしている人がよくああなっているのだ。そして、こういう話をすると必ず現れる「それじゃあ社会は回らない」と述べる人の頭の中にも、こういう勘違いの人が登場しているのだろう。つまり、さも当然のように通俗的なお説教をして下さる人ほど勘違いをしているのであり、そのような人ほど「自分の死」を本気で受け止めておらず、「自分は死なない」と思っている。いや、思ってもいないのだろう。

 こんな話ばかりをしているからだろうか、僕は「浮世離れしている」とよく言われる。いや、しかしね、浮世というのは・・・。

コメントを書く