繋げられるものを残す

2009.11.6日々のこと

 物があまり必要ない。と、言うか、物を無くす生活をしようかと思う。物を残すことを考えるとして、50億年後、地球が亡くなる日までその物が残ったとしよう。その日には人類や生物はいないかもしれないし、地球は既に使い捨てられているかもしれない、しかし、仮にその日を迎えなけれなならない人類がいたとしたら? だったら、単に物が残っているというよりも、その日を迎えるのを恐れない人々になっていた方が良いとは思わないだろうか?

 物は朽ちるし、地球が亡くなれば物も無くなる。けれども、人の考えは繋げていく事ができる。どうやら縄文人と現代人とに人間的な本質に大差はないようであり、それにもかかわらず、人間は文化を発展させてきた。そして、色褪せたり、翻訳されたりと表皮が変わった物を通して、ずうっと昔の人達の考えを知り、私たちは再び考えることが出来る。それが「繋がる」ということであり、人間が人間らしく生きることだ。これも1つの考え方だし、全く異なる考え方を持つ人もいるだろう。しかし、単に「残す」ことに終始してしまえば、人に繋げる事は難しいだろう。

 人が人として生きる上で正しい事をするように気付ける物を残したいし、そうしてきたつもりだ。

 地球が亡くなる日のことを考えることを馬鹿馬鹿しいと笑うのも、1つの考え方だろう。けれども、俺は考えている。それを言う事で、他の誰かが勇気を持てるのなら、俺は何度でも何処でも言うし、動くよ。

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