「やりたいこと」と「やるべきこと」の違い

2009.10.3日々のこと

 「やりたいことができればそれでいい」と言う人々がいる。詳しく聞くと「絵を描いて生活できる分のお金が稼げたらそれで十分」という言葉が返ってくる。これは、写真やその他の事柄においても頻繁に聞く言葉であり、「やりたいことをやりたい」という願望はどの業界に属する人から聞く言葉だ。

 しかし、皆が皆、「やりたいことだけをやったら」世界はどうなるのだろうか? 「これは辛いからやりたくない」、「あれも大変そうだからやりたくない」など、今やっていることの大半をやらない方向に進んでいく人が多いだろう。人は弱く、ノーリスクハイリターンを望む動物であるが、果たしてそんな都合の良い話があるのだろうか?

 「やりたいことができればそれでいい」とおっしゃっている人々は大抵、現状に不満を抱いている人達である。けれども、少しの時間、考えて欲しい。君が「やりたい」と願っていることは、君が「信じていること」なのだろうか? つまり、君が「やりたい」と願っていることを「やれていない」ことは、君の、君自身の存在を脅かすものなのだろうか? もしも、君が「やりたい」と望んでいることが「やれていない」現状が、君が精神的に「生きているのか、死んでいるのか、わからない」状況に陥らせているのならば、即刻、その現状から抜け出す必要があるだろう。けれども、その現状から抜け出すためには、お金の心配はしなくちゃいけなくなるかもしれないし、明日の生活も心配しなくちゃいけなくなるかもしれない。つまり、君が「やりたい」と望んでいたことは楽チンなことではないということになる。

 けれども、それを「していない」現状では「生きているのか、死んでいるのか、わからない」状態なのだから、抜け出すことが君自身にとって一番大切だと君自身が感じているはずだし、「抜け出す(やりたいことをやる)」のか「抜け出さない(やりたいことをやらない)」のかを決めるのは君自身だということも君はわかっているはずだ。そして、そんな現状から「抜け出す(やりたいことをやる)」ことは、当初思っていたような、辛いことのない楽チンで楽しいことばっかりのことではなく、とても大変だし、犠牲を払わなければならないことだということに気付いただろう。けれども、とても大変で犠牲を払ってでも「やりたいことをやる」道に進んだら、君自身が一番、救われることにも、君は気付いているだろう。

 加えて、「やりたいことをやる」道に進んだら、君は「あれをやらなければならない」、「これをやらなければならない」ことに気付くだろう。ということは、「やりたいことやる」というのは実質的には「やらなければならないこと(やるべきこと)」が増えることになる。それでも、君の心は「やりたいこと」を「していない」時よりも、満たされているだろう?

 人は誰でも、自分自身がやらなくちゃならないことっていうのがある。それを、その人にとっての「使命」と言い、自分に正直になって自分が信じていることと向き合った時に見つかる「やりたいこと」っていうのが、その人にとっての「使命」なのだ。その「使命」に気付いた時、「やりたい」と思っていたことは、実は自分自身にとって「やるべきこと」だったということに君は気付くだろう。

 とても大変でとても犠牲を払わなければならないことだったとしても。そして、君自身しか、それを選ぶことは出来ないのだ。

(2009年10月3日 11:02)

今日書いた書き物です。
そして、
今、創作している作品で、全てを言い尽くそうと考えています。

エグチマサル

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