昨日から度々、ベランダにニャーゴがやってくる(放置)。

2009.9.6日々のこと

 昨日午前中、念入りに掃除をしていたせいで鼻水が止まらなくなり、引き続き本日も鼻水が止まらない。鼻水と言えば、ネギや生姜などが有効と言われているが、本日の主役はネギだ。

 昨日のお昼ご飯で肉味噌を作ろうと思い立ち、八百屋で食材を買って来てネギを取り出し、無防備な姿の「そいつ」を眺める(ちなみに、僕は関東人なので、「ネギ」と言った場合は「白ネギ」のことだ。別段、悪気がある訳ではないのであしからず)。独特の辛みと匂いが苦手な人もいるが、これがネギの醍醐味と言う人もいる。そうかと言えば、炒め煮や鍋物に入れれば甘みととろみが現れはじめ、それが苦手だと言う人もいれば、それが好きだと言う人もいる。扱い方の手軽さと相反して、生でも火を通しても存在感を持ち続ける「ネギ」。どんなコミュニティ(料理)の中にそれとなく入っても、いつの間にか存在感を放っているその姿は、同じ生命体として師匠に値すると言っても過言ではない。

 話は変わり、先に挙げた東日本の「白ネギ」と西日本の「青ネギ」、これらに言及していこうと思う。育て方の違いで、白い部分が生まれてくるらしいが、土をかけることで葉の部分を隠し、食すときにその姿を現した方が「ネギ」の特徴が高まるという育て方は、どこか人間のそれと似ているように思われる。性質を目に見えないように隠し、溜め込み続けることで、それが顕現した時の爆発力は、目に見える形で出し続けているものの力とは比べ物にならない。現代での悪い例として、ストレスを適度に発散している人よりも、ストレスを溜め込み続けた人の方が、より深刻な状況となることが挙げられる。しかし、ここで勘違いしてはいけないのが、目に見えない形だとしても「続けている」ということであり、作品を創っていない者や、作品と関わることをしていない者が、突然、(静的な作品だとしても)爆発力を持った作品を創ることが出来ないことと同様なのである。それ故、作品を創っていない時であったとしても、作品と関わらせて行動し、関係のない(ように思われている)日常を作品と結びつけて緊張感を持って過ごすことが、「目に見えない形で続ける」ということになるのであり、「白ネギ」と同様に、ネギの特徴が強まるのである。

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