藝術の役目

2009.8.31日々のこと

 8.31.09 16:53

 個展も終わり、時間が出来たので『ブタがいた教室』と『おくりびと』を続けて観ていた。どちらも生と死を直接的に題材として扱っており、見せ方や内容の異同は置いといて、良い映画だった。『ブタが—』は終わり方にツメの甘さがあり、映画としての良さは『おくりびと』の方が優れていたが、僕は『ブタが—』の方を薦めたい。

 この映画を観たきっかけは、小学校教諭になることを目指している友人から薦められたことだが、人間として生きる以上、いつかは直面する問題がこの中にはあった。内容に触れるのは憚れるので言わないが、印象に残った2つの台詞を挙げさせて頂きたい。「生きる時間の長さは誰が決めるの?」と「ピーちゃん(ブタ)は食べられるために生きてるの?」という台詞。これらは表面上、生についてしか議題に挙がっていないように思われるが、これらを考えていくと、「寿命以外の死は悪いことなの?」や「何のために死ぬの?」といった、死のことまで考えざるを得なくなる。

 そして、この映画を観ながら先々週に訪れた、ある病院のことを思い出していた。その病院は小児病院であり、来院する子どもたちというのは入院が当たり前のようにある子どもたちである。その子たちは健常者の子どもたちよりも余分にからだへの痛みやこころの痛みを経験し、白を基調とした病院内で、生(死)について考えることを経験する。つまり、思い悩むことではなく、幼くして考えることを余儀なくされるのだ。クリエイティブ(創造)しやすい空間の色に白が挙げられているのは周知のことであり、その白い空間で考えることを幼いときから経験させられているあの子たちの創造力の高さは計り知れない。

 そして、いつかは自ずと「生きる以上に大切なこと」を考え、それの答えを見つけ、進んだ者の姿は美しい。たとえその者が、幼き子どもだったとしても、一度は人の道を外れた者だったとしても、美しく輝いて見える。だからこそ、『ブタが—』の終り方の描写が足りないと思ったのだが、足りないからこそ映画として保つことができたのだろうし、時間や制作会社の都合など色々な問題があったのかもしれない(推測でしかないのだけれども・・・)。しかし、実際のクラスの子どもたちにとっては貴重な経験だったのは間違いないだろう。無駄を出さないことや、「いただきます」や「ごちそうさま」を言うことなど、日常の多くのことが、生と死について考える契機になっており、考える力の種を植えること、創造力の種を植えることが藝術の役目でありたい。そんな、いつも願っていることを再び強く抱く映画だった(両方とも良い映画でした)。

※ 個展「生命の形」については後日、記載します。御来廊の皆さま、明るい部屋の皆さま、ありがとうございます。

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