存在していないと思われているような対象
2009.4.3日々のこと実はそれほど日は経っていないのだけれども、日曜日からかなりの月日が経ってもいるような感覚がしている。
一応、個展会期は終了したので、墓参りに行ってました。
掃除をして、お礼や近況報告をしながらお墓を見ると、太陽の位置から後光が射しているように見えたのです。
こういうのも会話のように思えてしまえるような、そんな空気がありました。
といっても墓参りに特有のことかといえばそうではなく、意識的になれば、何と向かおうが会話のようなやりとりは成り立つものだろう。
むしろ、一般的に「言葉」と呼ばれているような言語を使えるようになったがために、それ以外のやりとりに会話を認知することができなくなったのではないだろうか。
食事、惚けること、趣味的行動、創作など全ての行いにおいて対象とのやりとりはあり、意識を持つか持っていないかの違いのように思える。
僕はやりとりを楽しみ、闘いたいのだ。
※countzeroでの展示は3月31日まででしたが、4月8日まで観ることが可能となっています。
御高覧のほどよろしくお願い申し上げます。