前のめりの角度。

2018.6.5日々のこと

昨日は「なんとなしに寄る」と「ぶらっと寄る」が混ざった表現になってしまったけれど、どちらも「行こうと思ったときに近くにある」ことが重要なんだ。
 
昔、池袋に頻繁に通っていた頃は百貨店に、ぶらっと寄っていた。
僕の家族は東武派だったけれど、僕は西武、パルコ、P’(ダッシュ)パルコのいわゆる東口系に通っていた。
タワーレコードがあったり、本屋があったり、無印良品やロフトに立ち寄って、ついでにアパレルのテナントにも、ぶらっと寄っていた。
音楽を聴こうと思ったり、立ち読みしようと思ったら、ぶらっと寄ってみる。
 
ジュンク堂にも通っていたけれど、ジュンク堂を訪れる際は「これを見て(読んで)買う」という目的があった。
調べ物をするときに図書館へ訪れるのと同じだ。
前のめりの角度がある。
 
池袋にあったタワーレコードに訪れるときは、前のめりの角度がゆるくなっていただろう。
近所のコンビニに「なんとなしに寄る」ときは、前のめりの角度はない。
この気持ちの軽さはとても違う。
 
インターネットを介して、どこかや誰かの文章に触れるときも、この軽さがあるだろう。
僕はこの軽さを提供してくれる人たちに愛着を抱いている。
僕もこうありたいとさえ感じている。
(自分の言葉に酔って、大げさに書いてしまった)
ただ、これだけは確実に言える。
 
近所のコンビニよ、なんとなしに寄れるように開いてくれて、ありがとう。

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