「抜く」ということ

2008.11.7日々のこと

メンテナンスのためだとかでメールチェックができない。そろそろ会社を変えようかとも思うが、もろもろ面倒くさいので・・・。

昨日は刺激的で不思議な出会いがあった。幸運にも幾人かの作品と作者の方々と出会うことができ、そこには作品と作者との対話(言葉)と確かな行動が存在していた。嬉しい出会いだった。
邂逅というとスパークが生じたような印象だけれども、マグマが生まれたような邂逅があった。自分は硬いが、「抜け感」を持ち合わせながら動けている人・作品との邂逅が昨日にはあった。

以前も書いたことがあるが、「抜く」というのは生温いということではなく、無駄な力みがないということで、それは動くにあたりとても重要になる(「手を抜く」と「抜く」というのは違います)。

昨日、「大琳派展」を観に行ってても感じていたことでもあり、そこに自ずと意識が向くことが、自分が日本人であるという特徴でもあるのだろう。

秦 雅則さんという方です。企画ギャラリー「明るい部屋」による活動もしているようです。

http://hatamasanorihata.ganriki.net/
http://akaruiheya.info/

2 コメント to “「抜く」ということ”

  1. hata Says:

    勝手なことを、勝手に話して申し訳ないです。ましてや
    名前がカタカナだからって呼び捨てにしてしまって。でも
    返事をもらえてうれしいです。本当に飲みにいきましょう。
    本当に約束ですよ?

  2. admin Says:

    いや、全然嬉しかったです。掌と手の指のような、感じがしました。同じ掌の指を広げると、指同士は離れていく。けれども、根元の掌は同じところにある、そんな似ているところを感じていました。飲みにいきましょう。再来週以降でどうですか?
    エグチマサル

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