いつもいてくれる。

2015.9.12日々のこと

先日、山梨に行く予定が変わり、奥多摩へ。一人、河原でビールを呑みながら昼寝をしていると、雲が出ててきて涼しくなっていった。急遽出来た一人の時間。しかし、それがどれほど大切な余白の時間であり、体であるか。頭から誰それを一切いなくし、その代わりに山の、森の、川の、石の、空の、生命で満たされる。自分も含めたその他大勢の思惑は排除され、ただそれを全うする当たり前に何億年も繰り返されてきた生命で、自分の体が作りかえられていく。あの自然の全てが藝術の神サマだ。
 
「時間」「労力」「金銭」「感情」の4点からコストとメリットを意識的に考えるようになった後、自分にとって「感情」が最も大切であり、その中でも「寿命を対価として支払えた感覚」を持った動きができたときが至上の感情であるとわかった。
 
自分にとって何を神と呼ぶかは自由だし、なんと呼ぼうが自由だ。ただ、その対象が、常に自分を見ていて、天にいたり、後頭部のあたりに浮かんでいたり、自分の中にいて、言動を律するかだ。良い動きができたとき、そんな神に感謝したくなる。

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