視える。

2015.5.10日々のこと

根津美術館に初めて行った。光琳絵画を目的として行ったのだけれども、庭園も素晴らしかった。人の手によって作られているとはいえ、日本庭園らしい限りなく自然を残すことで、都会の中心にいながら森林浴を愉しめた。そして、光琳の「燕子花図屏風」の後に見る、見事に咲き誇る実際の燕子花に、先人の描くという欲求もわかる気がした。
 
帰ってきてからは、昨日の続きである「ダークナイト・ライジング」を観た。犠牲的精神の先には、幸という報われがあって欲しいものだ。
 
その後、制作を少しして今も思う。昼間に見えたじいさんの姿は、他には見えないのだろう。そこにある一生が普通にあり、その中で、人は藝術と向き合ってきた。それは光琳やダ・ヴィンチも同じで、門弟や息子に受け継がれながら、また1つ別の命を見つけてきたんだ。俺が何かを残しているのかはわからない。だが、これだけは言おう。俺は正直に作品に向かえているよな。それだけが、先人への手向けだ。

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