自分が支払うもの。

2014.12.14日々のこと

「犠牲」という考え方がある。何かを得ようとする際に、何かを対価として支払うことだ。多くは、大事の時に使われる言葉だけれども、小さなものを買う行為にだって、お金や時間や移動などの労力を犠牲として払って得ているわけだ。
 
「全部良いとこ取りでいこうぜ」という気持ちを持っていないわけでもないし、周りを鼓舞する時にこういう言葉を使うこともある。だが、そうは言いながら、僕はコストを考えている。
 
これはいつも話している「時間、労力、金銭、感情」の4つであり、この4つを犠牲にするコストと、得られるメリットを計算している。
 
今回、改めて「犠牲」という言葉を使ったのは、やはり、僕が40年掛けてやろうとしていることには、僕自身の犠牲が伴ってくるからだ。僕が持病持ちであったことが、その犠牲のコストを支払う後押しをしてくれているのが、とてもラッキーなことである。
 
社会を変えるためには、みんなの犠牲ではなくて、自分自身が何を犠牲として支払えるかだ。

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