意識のこと

2014.6.7日々のこと

自分の周りにある空気を信じられるとき、思いもよらない力を発揮できたりする。一方、全てが敵のように感じられるとき、ドツボにはまることがある。逆説的なのかもしれず、120%の力を発揮できているときに、信じることができているのか、ドツボにはまっているからこそ、全てが敵のように感じてしまうのか。けれども、意識することで、自分の向かっていく方向、陥っていく方向が決まってくることがあるだろう。なので、僕はなるべく口角を上げるようにしているし、笑うことを多めにしている。そして、辛そうな話のときには、辛そうな表情をしているはずだ。つまり、感情に正直にいながら、ポジティブに終わるようにしたいのだ。
 
先日、ストレッチをしてから瞑想をしているときに、「人間はどのように構成されているのか」という疑問がよぎった。「胡蝶の夢」かもしれないし、映画「マトリックス」のように誰かに現実の夢を見させられているのかもしれない。しかし、そうだとしても、人間は構成されているのだ。それは意識なのか——意識を生み出すのが脳ならば、脳で出来ていると言えばいいのか。漫画やアニメでは、脳だけで、人間を操作するような話も見かけるが、脳を見ただけで「人間」だとは感じないだろう。
 
つまり、「脳」という名前の物質としか感じなかったり、「これが人間です」と脳を見せられても腑に落ちないはずである。そうかといっても、死体を見せられても「人間」と思うというよりかは、「死んだ人間の体」すなわち「死体」と思うはずである。つまり、人間とは、「人間らしいと感じる体が意識を持っていると思われる振る舞いをしている物体」であり、言葉である以上、「人間」という単語の意味合いはこれから増えたり減ったりする。
 
このことも、先述のことも、全て「意識」が中核に置かれている。
 
「意識とは何だろう?」と、子どもながらに疑問を持ったこともあった。意識がどこにあるのか、と考えてみると、頭の中をまずは思い浮かぶ。しかし、意識を取り巻く現実世界は外にあり、意識して初めて、自分にとって存在していることがわかる。つまり、意識から現実を認識するというのは、拡張的な図式になるのだろう。一見すると別物のように見えるが、どこかで必ず繋がっている。それは、進化の歴史と似ている。DNAを受け継ぎ、一見すると別物のように見える私とアナタが、元を辿って行くと、1つの生命に行き着く。それは誰でも同じであり、1つのものが拡張しながら、永遠に続いているということだ。
 
そう思うと、何かが独立して存在しているということはないし、独りぼっちというのはありえないということになる。案外、寂しさなんてものは、個人の幻想でしかないのかもしれない。

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