Archive for 2018

『この世界の片隅に』を思い出す。

2018.7.20

昨年の夏も終わりの頃に『この世界の片隅に』という映画を観て以来、このタイトルを頻繁に思い出します。
しかも、夜、寝るときや、深夜に目が覚めたときに、このタイトルを思い出すのです。
何かイライラしていて寝つけないときも、このタイトルがなぜか思い出されて、腕をさするのです。
すると、スーっと眠りに入ることが多い気がしています。
 
正直に言うと、この映画を見た直後の感想はあまりいいものではありませんでした。
ぼくらが十代〜二十代の頃に流行った「童顔の主人公の頑張る姿とうっ屈さ」感じだな、と思った程度だったのです。
(アニメなのだから童顔は当たり前かもしれませんが)
 
けれども、その後、ぼくは初めて広島に行き、平和記念公園に訪れ、資料館をまじまじと見ました。
広島から帰って来ても、このタイトルが思い出されるのです。
そして、このタイトルが台詞として話されるシーンがあるのですが、そこで最近、気がつきました。
 
「この映画は、見つけてもらった彼女が、見つける番になる映画なんだ」
 
ま、詳しいことは映画を見ればわかるのですが、見つけられ、見つけることが繰り返されるのが、ヒトの一生なんだなと思ったのです。
良いことも、悪いことも、見つけ見つけられることで生じる現象です。
実はこの映画って、ひたすらこの繰り返しなのです。
 
もっと言えば、見つけられることで、ヒトやモノの一生は全うされると言われているようです。
ぼくは誰や何を見つけたかなぁ。
まだ、何も与えることができていないのかもしれません。


そっとしておく。

2018.7.19

「弱者」という言葉が苦手です。
おそらく、弱者になったことがあるヒトは、ぼくと同じではないでしょうか。
「弱者になる」というのは、「ぼくは弱者です」と言ってなるものではない。
決まって、誰かによって弱者にさせられるのです。
 
あまり言わないが、ぼくは持病持ちです。
生まれてすぐに腎臓病になりました。
子どもの頃、ぼくが病気でぐずると、「もっと大変なヒトがいる」と説教されたものです。
ぐずらなくとも、出会う大人全員が言っていたような気がしています。
(記憶の取り違えはあると思うけど)
 
この経験が、年齢や肩書きや立場を気にしない性格を作ったと言えるでしょう。
ヒトの言うことのほとんどは、そのヒトが作り出した偏見だということもわかりました。
この偏見に縛られているヒトは、ぼくに何もできないこともわかりました。
 
「小さな親切。大きなお世話」という言葉があるけれど、最近、この境目が分かったような気がしています。
正義を原動力にする親切は、大きなお世話になりやすい。
正義は大義名分になりやすく、行動の先にいる相手のことは、自分色に染めるようなものかもしれません。
戦争がそうでしょう。
 
親切には「そっとしておく親切」というのもあります。
 
もしも、弱者と言われるようなヒトと出会ったら、「そっとしておく親切」もあることを忘れないようにしたいです。
緊急性が高いのか、見守った方がいいのか。
完璧な方程式なんて、ないんだから。


傾聴力という謙虚さ。

2018.7.18

昨日の続きで、本田選手と村井さんの対談で、また気づいたことがありました。
「傾聴力=謙虚さ」と本田選手が話していて、これ、依頼関係でも同じだと気づいたのです。
 
ぼくが頻繁に言っている慣用句に「餅は餅屋」があります。
簡単に言うと「その道の専門家には素人は敵わない」という意味ですが、依頼事が円滑に進むには、「傾聴力」が専門家と依頼人である素人の両方に必要ですし、そのためには、お互いの事情は知らないという謙虚さが根本に必要です。
 
特にぼくらの仕事というのは、クリエイティブでもデザインでも本質は「伝える」ということです。
依頼人が伝えたいことと、伝えられる生活者の聞きたいこと、このふたつを繋ぐ橋を作るのがぼくたちの仕事です。
簡単に言うと「伝え方」をつくることです。
だから、悪い依頼人だと、どう考えても悪いことなのに、ぼくらの技術を使って、生活者に良く見えるように伝えて欲しいと依頼してきます。
ま、一種の「詐欺」ですね。
 
もっと多いのが、「伝える」を依頼しているのに、依頼者たちは彼ら自身のことを「伝えるが下手」とは思っていないのです。
思ったことすらない、と言ってもいいかもしれないです。
 
ここで最初の話に戻りますが、「伝える」を依頼していることへの「謙虚さ」が生まれにくくなっているのです。
クリエイターを作業をする人と思っていると絶対に生まれない「依頼人としての謙虚さ」。
要望を言っているだけなら、子どもと一緒ってね。


傾聴力、主張力、オーナーシップ。

2018.7.17

prime videoで放送している『KEISUKE HONDA CAFE SURVIVE』を見始めたのですが、これがとても面白いです。
5代目Jリーグチェアマンである村井満さんと、本田圭佑選手の対談のエピソードを見たのですが、教育論に展開。
 

傾聴力に主張力。
オーナーシップのトレーニング。
メンタルの回復力。
サッカーへの恩返し。
人間性の土台に、スキルを乗せる。
スキルは後付け。
まずは人間性。
地域に根付かなければ意味がない。

 
もうね、本当にその通りなんです。
この流れで自分の話をするのは恐れ多いですが、ぼくが以前の会社に入った頃にやっていたことを思い出しました。
それは、「周囲の先輩が言うことを全部やってみて、自分なりに考えてから、上司に見せる案を決める」ということです。
 
やってみる案には、もちろん自分と上司が話して決めた案もあります。
ほとんどの若手は、その案だけをやって終わらせるのです。
すると、良さそうなものができても、それは上司に導かれているから「自分の案」として落とし込めていないのです。
だから、力がつくのが遅い。
 
けれども、自分でチェックしているときに、他の先輩たちがちょっかいをだしてくるのですが、それをね、ひとまずやってみるのです。
先輩たちはアートディレクターというプロフェッショナルだから、ちょっかいひとつとっても専門性があります。
生半可な素人の意見とは違うのです。
そんな専門的なちょっかいを一通りやってみるのです。
そして元の案と比べる。
どんな意味があるのか、と考えるのです。
そうすると、上司に導かれていただけのものが、新たな気づきとともにブラッシュアップできたりするんです。
抜け落ちていたピースをはめ込んで、パズルができるようなね。
だからね、上司に見せるときには、ぼくからの提案になるんですよ。
上司というオーナーを超えて、自分が関わった案は自分がオーナーになっているのです。
 
こういうやり方って、時間は人よりもかかるけれど、めちゃくちゃ成長スピードは早いんですよね。
むちゃくちゃな残業をしていたあの頃の成長スピード。
そういうことを思い出しました。


推敲とは。

2018.7.16

ぼくらの仕事というのは、推敲が大事になります。
パッとやってみたことが「あり」か「なし」か。
手の掛け方は合っているか。
 
こういうのは議論を重ねれば解決できるものではありません。
だから、他人に見せるよりも、自分の中で「いいもの」になっているかどうかを見極めることになります。
経験を重ねると、この精度は高くなりますが、やっぱりね、完璧なものなんてないんです。
推敲をしていると、目の前にあるものに、目と頭が慣れてしまいますしね。
すると、判断が鈍る。
 
そんな中で他人の意見を聞いたら、「あり」か「なし」かの判断ができないまま、良さそうな意見に流されてしまいます。
見た目はいいのに実は性悪、そんな案に引っかかるわけです。
 
推敲は、こうやって近づいてくる詐欺師案に騙されずに、案件の精度を高めていくのです。
だからいくつもの案件を同時に進めるのは、頭を切り替えるためにもいいのですが、それでも鈍るときがあります。
もうね、そんなときは、外にでるしかないっすよー。
 
この流れで墓参りに行った話をしようと思ったのに、思いの外、真面目な仕事論になっちゃいましたねー。
墓参りの話は、またの機会に。