Archive for 2018

『最後の親鸞』を読んで。

2018.5.3

非僧非俗を通した親鸞。
中央に入らずに北陸から関東へ、妻子をもって畑を耕し、農民の手伝いをして生計を立てていた僧。
念仏も唱えない。
 
私たちで言えば非専非俗だろうか。
非技非拙とも言える。
クリエイティブディレクターが畑を耕す姿は滑稽に映っているだろう。
しかし、本当に真のものを見抜き、作ろうとするのならば、関係ないと思えることにも強くなるものだ(と思っている)。
ただ確実に言えるのは、専門家という名の城に籠っていると、技も思考も研ぎ澄まされるのではなく、狭く浅くなっていく。
料理人が靴を磨いたり、靴磨きの職人が写真を撮ったり、歌手がモーターレースに出場するのは、どんな机上の空論よりも実態のある話ができる。
 
これらは、効率的に正解を求め、怒るのを禁止し、泣くのを抑制し、にこにこすることを推奨し、何事も数字で正解を求める現代の風潮とは違うかもしれない。
とても遠回りのように見える道程だ。
そして、人間は喜怒哀楽があるから人間だ。
怒ってもいいし、泣いてもいい。
面白かったら、笑ってもいい。
遠回りも喜怒哀楽も、人間の仕事に必要なことだ。
 
最後の親鸞

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ノウハウを伝える理由。

2018.3.17

投資の感覚といえばいいのだろうか。
昨日は色々なクライアントや関係者たちと連続して話す日だった。
 
リクルートが危うかったときに、亀倉雄策さんがリクルート社内に事務所を移転させて、亀倉さんを知らない若い社員を励ましたり、当時の社長へ説教をし、立て直しを助けていた。
 
昨日、クライアントの一人と話していて、自分の口から「君や君のいる会社への投資だよ」と言ったときに、このことを思い出した。
規模感も違うし、レベルも違うかもしれない。
投資という言葉も似合わない。
たぶん違う言葉の方が適切だろう。
 
「投資と成長の機会」と言った方があっているだろう。
いや、「きびしさもある縁」と書いた方がいい。
 
北野たけしさんの独立の記事を読んでいても、同じことを思い出した。
 
ぼくがノウハウを包み隠さずさらけだすのも同じ思想がある。
ノウハウを隠したままぼくが死んじゃったら、ぼくを頼ってくれた人たちはうんこくずなデザイン会社や広告代理店に騙されることもある。
道を踏み外すこともある。
 
ノウハウというとスキルのような気がするが、人と人との関係性なんかもある。
「〇〇ができるからお願いしたい」ではなく「江口さんにお願いしたいんだ」と言われるのは、とても嬉しいものです。
ちょっと、がんばる気持ちが、プクッと起きるよね。
 
その人たちは、ぼくへの報酬が少なくなるのを良しとしないから、信じられるということもあるけど。
それが、きびしさもある縁、ってことだろう。
 
そういえば、最近は変な虫が寄って来なくなったな。

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打席に立って全力でバットを振れ。

2018.3.7

最近、自分の経歴を見ていて「本当に俺か?」と思っちゃいました。
きっかけは、他の人の経歴を見ていて、随分すごそうな横文字が並んでいて「背伸びしてんなぁ」と恥ずかしく思ったのがきっかけです(たぶん凄いんでしょう)。
それで我が身を顧みたんです。
そしたら、写真家の賞歴も展示歴も、デザイナー(ディレクター)としてのクライアントの顔ぶれもそうそうたるものなんです。
 
僕が他人として僕を紹介されたときに経歴だけ見たら、「うそ〜ん」って思うでしょう。
実際に会ってみたら、ヘラヘラしながら現れて、薄っぺらいポートフォリオ(作品集)を出すんです。
たまに難しい顔をして。
もう胡散臭い。
でも、すべてにそれぞれのストーリーをネタのように話しちゃうから、今度は「うそ〜ん、マジやん」と感心するんです。
 
だいたい最近はこんな風にして人と出会うんですが、なんかね、もっと「あおぞら教室」みたいな感じで、クリエイティブをしていたいと思ったのです。
伝えたいというか。
多分に誤解を生む言い方だけど、現代の「コミュニティは作るもの」という風潮の気味悪い感じから一歩抜け出したいようなね。
(コミュニティは「いつの間にかできてるもの」ですからね)
 
ダ・ヴィンチを追いかけて荒野を走って来たつもりが、後ろに摩天楼ができてたなんて、なんか自由じゃない。
いや、いいんだけど。
ロックの魂じゃない。
でもまだ止まらんけど。
打席に立つ機会を得られている以上、俺は全力でバットを振って点数とりにいくぜ。
送りバントでも犠牲フライでもデッドボールでもな。

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思想、文化、さいごにブランド。

2018.2.4

ブランドを一言でいうと「何となく抱くポジティブな印象」だ。
語源は家畜への焼印であり、差別化の意味しかなかったが、シンボルマークやロゴタイプによってポジティブな意味が付随するようになった。
「何となく抱くポジティブな印象」を格好良く言えば「文化を感じるようになること」ともいえる。
企業から文化を感じるようになるには事業に至るまでのストーリーが鍵になり、そのためには思想が必要になってくる。
 
IBMの「Think」に対して、Appleの「Think different.」を掲げたポスターのビジュアルには偉人が必要だった。
便利なコンピュータ像を載せないことによって「思想を感じ」、「文化に惚れる」ことでApple製品を買う理由を人々に与えた。
その後のiMacでは「Yum.」だ。
ここでも便利さで人々を釣っていないし、業界としての妥当性よりも、挑戦的かつ品格を合わせたクリエイティブだった。
 
経験上、こういうクリエイティブは担当者をくどくど説得して生まれるものではなく、文化的な教養でしか作れないものだ。
文化を感じさせるためには、一生、最初の思想を伝え続けなければならない。
思想が変われば事業が変わる。
思想に教養を合わせて文化にしていく。
ひたすらその繰り返しだ。
ブランディング案件で企業人に足りていないのは「一生」という部分だ。
 
おじいちゃんの町工場が作り出す見開きノートがヒットしたり、インスタグラムにおけるインスタ映えがストーリージェニックに移行しているのも、商品や投稿にその人でしか創り出せない文化があるからだろう。
この傾向を顧みると、文化を望む傾向が生活者レベルにまで浸透してきている。
便利さやお得感で生活者を釣ってきた反動なのかもしれないが、企業自身も文化を醸成する方法を模索しているか、踏み切れないかのように見える。
 
 

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相談を受けると必ず話すこと。

2018.1.18

コミュニケーションにかかるコストには「感情」「時間」「労力」「金銭」があります。
そして、人間には「24時間」しか1日にありません。
しかも、今日の帰り道で事故にあったり、急に脳の血管が破裂したりして「死んじゃう」こともあります。

 

人とのやりとりについて相談を受けるとき、必ずこの話をします。
すると、相談者を悩ます問題には、解決策がいくつかあることを発見してくれます。
発見したときの「パっ」と表情が明るくなるのは、見ていて気持ちのいいものです。

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