Archive for 2016

ブランディングの成否を分ける「目的」。

2016.12.22

2016年も終わりを迎えようとし、年末商戦や年始のスタートダッシュを図ろうとしている事業者やビジネスマンも多いだろう。日本では年の初めにその年の目標を立てることが一般的だが、事業の目的を振り返ることも忘れてはならない。そして、ブランディングをする上で「事業や企画の目的を明確にする」のは極めて重要だ。
 
私が東京・神奈川から離れて暖かい地域へ住みたいと思っているのも手伝って、今年は地域で活躍している方々と会うことが多かった。地域おこし協力隊やふるさと納税、移住への興味促進の効果もあり、どの地域も力を入れて商品開発をしたり、イベントを開催している。
 
地域のPRやイベントの盛り上がりも大事だが、忘れてはならないのが、当初の目的だ。物産展などで販売している商品を拝見させてもらうとき、「いいものを作っている」という説明を受けたり、物産展でどれだけ売れたかをアピールされる。もちろん、そういった自負は作り手には必要であり、各商品のパッケージやイベントのロゴマーク、宣伝ツールなどもお金や時間、手間暇をかけて作っているのがわかる。
 

まとまりに欠けるデザインがもたらすもの。

 
しかし、すべてに力が入り過ぎてしまい、まとまりを欠いている状態と出会うことが多いのが現状だ。同じ地域、同じプロジェクトのものを見ているはずなのに、違う地域・違う店舗・違うプロジェクトとして提供されても気づかない商品群やイベントツールとなっていて、種類の豊富さではなく、煩雑さが目立ってしまう。
 
こうなってしまうのも、事業や企画が進むうちに視野が狭くなり、当初の目的とずれてしまっているためだ。その商品を開発した目的は「地元の農作物を使っていいものを作りたい」というものだったのか、それとも、「都心での物産展で売ること」が目的で商品を開発したのかーーたったこれだけでも商品パッケージのサイズやデザインは異なる(商品価格によってもデザインは変わる)。
 

あなたはユーザーのベネフィットを言えるか?

 
さらに付け加えるのなら、「いいもの」という言葉はとても曖昧で、その言葉に含まれる意味は多岐にわたる。無肥料・無農薬・無添加というような素材に焦点を当てたり、栄養価が高いものだったり、美味しさだったり、地域の仕事づくりだったりと内容は様々だ。これらの目的は、それぞれが異なるベネフィット(利益)をユーザーにもたらす。
 
素材を優先するユーザーであれば、素材が良ければ価格は競合より高くても購入するが、地域への無償の応援は少なくなる。つまり、無肥料・無農薬・無添加で提供している地域は応援したくなるという順序だ。一方で、地域性を求めるユーザーであれば、地域の特産物や有名店である方が購買意欲が湧く。これは物産展でも同じであり、物産展で購入するのはイベントであること、地域らしさ、接客、味、というように優先すべきは地域性だ。「〇〇産」や「産地直送」といった謳い文句で購買意欲を煽るやり方が含まれる。
 
しかし、地域性を優先させた場合、その地域に縁もゆかりもないユーザーであれば、その地域から離れたり、物産展に訪れなければ購入しようとは思わないだろう(京都土産の八つ橋を日頃のおやつとして食べなかったり、宮崎の地鶏の炭火焼や冷汁を毎週食べないように)。つまり、リピーターになりにくいのだ。そこで今回の話の振り出しに戻るが、「その商品を開発した(イベントを開催した)目的は何だったのか?」という問いを思い出して欲しい。
 

当初の目的とユーザーベネフィットを結びつける。

 
物産展のブースを確保し続けることも大切だが、「いいものを作っている」という自負を持つのなら、地域性を担保しながら売ることができるデザインや売り方ができるはずだ。そして、ユーザーへのベネフィットを考えるようになるので、イベントではなく、常時販売できるテナントや小売店に卸すことだって可能になる。そして、逆も考えられるようになる。イベントを主催したり、店舗を経営したりする場合、来客しているユーザー層・来客して欲しいユーザー層・来客して欲しくないユーザー層を考えることで、その層に適したデザインや売り方を提供することができる。
 
それを可能にするのも、イベントや店舗に来客するユーザーや商品を購入するユーザーに、当初の目的を結びつけることから始まる。試しに自分たちが制作した商品やPRツールを並べてみるといい。どの商品、どのPRツールにも共通する性質をもたせているだろうか? 彩り豊かに種類を豊富に見せることと、統一感なく煩雑に見えることは違う。並べたものに共通する性質がなく、違う地域・違う店舗・違うプロジェクトの商品やPRツールが乱立しているように見えるのなら、巨視的(マクロ)な視点と微視的(ミクロ)な視点を使い分けることができていない証拠だ。そうならないためにも、今年を振り返るときや来年の目標を立てるときに、事業の目的を今一度振り返ってみてはいかがだろうか?
 
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私が『サーチ・インサイド・ユアセルフ』を勧める理由。

2016.12.13

日本のビジネスマンの間でも話題になったマインドフルネス。書店に行けば、必ずと言っていいほどマインドフルネスを扱った本と出会えるようになり、日本人が著者のものも多くなっている。しかし、効果のエビデンス(証拠)となる論文やデータが記載されていないものもあり、その著者が何をベースに書いているのかが分からないものも多い。そんな中、冗長なユーモアや特徴的な翻訳に我慢できるのであれば、マインドフルネス関連本の中でも、『サーチ・インサイド・ユアセルフ 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法(以下、サーチ・インサイド・ユアセルフ)』は群を抜いてオススメできる。
 
「マインドフルネス」が初耳だという人もいるかもしれないが、著者であるチャディー・メン・タン氏の言葉を借りれば、マインドフルネスとは「ただあるがままでいるときの心(※1)」の状態である。そのため、日本でも話題になり、皆が想像している瞑想の姿は「マインドフルネス瞑想」と呼ばれる。
 
ではなぜ、数あるマインドフルネス関連本の中から『サーチ・インサイド・ユアセルフ』をオススメしたいのか? 理由は3つ(+α)ある。
 

『サーチ・インサイド・ユアセルフ』をオススメする理由。

 
理由のひとつ目は、Googleの成功が挙げられる。以前、『禅マインド ビギナーズ・マインド』のレビューでも話したが、現代人が瞑想やマインドフルネスに関心を持つ理由は「集中力を高め、ビジネスにおけるパフォーマンスを向上させたい」というものだろう。集中力を高めた先に「悟り」を知り、悟りの状態を「維持する」ことが本来的に望ましい状態だとしても、現代人にとってはビジネスパフォーマンスを向上させる方が強い動機づけになる。そういった意味で、誰もが恩恵を受けている検索エンジンを作っている会社が採用したプログラムというのは話が早い。しかも、プログラムは違えどIntel、Facebook、Linkedinなど、批判をする人がいたとしても成功を否定できない企業がマインドフルネスという概念をこぞって採用している(していた)というのも、後押しする事例だと考えられる。
 
オススメする二つ目の理由が、瞑想を科学の分野にしている点である。横浜での講演も記憶に新しいダライ・ラマ法王も、瞑想で得られる恩恵を科学的データにすることを奨励している。そういった背景も手伝ってか、エビデンス(証拠)になるデータや事例が数多く挙げられている。成功している企業だからと言って、すべてのプログラムが成功しているとは言えないが、瞑想における恩恵が事例データとして記載されることによって、プログラムの成功具合がうかがえる。そして、論文などの引用元が記載されているため、私たちがそのデータを調べることができることも大きい。日本の著書では事例を挙げていても、どこの論文なのか記載していないことが多く、引用元にたどり着けないことが往々にしてあったり、神秘的な感覚を重視しすぎていることが多い。
 
最後の理由が、プログラムを実施するやり方が詳細に記載されている点だ。どんなに優れた企業の役員や実績のある人の話でも、科学的データが揃っていたとしても、私たちが行えないのであれば、その話は単なる自慢話だ。日本のビジネスマンと話すと思想ではなく、経歴や事業実績だけが語られて「So what?(だからなに?)」という状態に陥ることは『サーチ・インサイド・ユアセルフ』という本の中では起きない。二つ目と三つ目の理由によってプログラムの再現性は格段に高まっている。つまり、著者であるチャディー氏が目の前にいなくても、私たち読み手はプログラムを実施することが可能になっている。
 

続けるための秘訣。

 
さらにオススメする理由をもうひとつ付け加えるとしたら、私の性格と彼の性格に共通している部分が見受けられる点だ。別の本になって恐縮だが、『RESET・リセットーGoogle流 最高の自分を引き出す5つの方法』の著者であるゴーピ・カライル氏が、インドの厳しい修行で学んだ瞑想が毎日続けられないことをチャディー氏に相談したところ「1秒でいいからやってみること」を勧められたと書いてある。この逸話を読んだとき、続けるための秘訣が「意識すること」にあるのを知っている人だと思えた。私とは違って生真面目な人に共通していることだが、「決められたことを全力で間違えずに行おうとする人々」がいる。残念ながら、そのやり方ではパフォーマンスを高めながら続けることは難しい。
 
それではなぜ、「決められたことを全力で間違えずに行うこと」を続けられないのだろうか?
 
まず第一に、「決められたこと」は内発的動機づけが起こりにくく、パフォーマンスは上がりにくい(プログラムというのはとても単純なものであっても、他人から決められたものである。※2)。第二に、人間は常に全力でいることはできない(全速力で1キロメートルも走れないように)。第三に、人間は間違う(ミスをする・エラーがある)生き物だ。だから、決められたことを全力で間違えずに行おうとすると続かないのだ。しかし、たった1秒で済むのなら、人は全力で行える。そして、他人が作ったプログラムでも、せっかく出した全力が1秒ではもったいないという気持ちが自然と湧き起こる。その結果、続けられるのだ(先の逸話でもチャディー氏から1秒と言われたのに、1分は瞑想を行うとゴーピ氏は誓っている)。
 

実際にマインドフルネス瞑想を続けた結果。

 
実際に、マインドフルネス瞑想を行なっていると、心身ともにストレスが極度にかかる状況でも、冷静さを保ちながら判断を下しやすくなっている。私の場合は、以前から瞑想をしていたり、今年に入ってからヨガも始めたので、一概にマインドフルネス瞑想のおかげとは言い切れないが、それでも冷静さにおいては以前よりも増し、利他的な傾向が強まっている(このブログも日本の知識労働生産性を向上させるためのお手伝いであり、誰かを変えたいと思ったり、自分の利益のためにやっているものではない)。
 
たとえば、冷静さの向上においては、先日昼食を作っている際に自らの過失で、左手の人差し指の爪を半分近く包丁で切り落としてしまった。痛みを感じた後、勢いよく血が流れ始めた。午後の予定に間に合うように急いでいたこともあって、切った直後は極めてストレスがかかったが、それでも自分がすべきことをスムーズに行うことができた。まずは片手で止血できる体勢を作ってから、スマートフォンで家の近所の外科を探して電話をかけた。しかし、昼時のために救急で診てくれる病院が見つからず、いくつもの病院や情報センターをたらい回しにさせられた(その中にはホームページで「救急対応」と書いている病院もあった)。大病院も頭をよぎったが、たらい回しにされている間に時間が経ち、救急車やタクシーを呼ぶよりも、近所の病院が開く時間を待った方が早いということに気がついた。そして時間になるまで指の痛みを感じつつ、午後から会う約束をしていた人に事情を説明するために電話をしたり、指を切ってからそのままの状態になっていた台所を簡単に片付ける余裕があった。
 
このように話すと大した傷ではなかったと思われるかもしれないが、病院から帰って来てからも血は止まらず、次の日に傷口を焼いて止血をしてもらったほどだ。
 
治療初日のガーゼが血で真っ赤になり、痛みと疲労で頭が冴えない状態でも、この事態をバネにして教訓を得ようと考えることはできた。怪我から3週間経った今も完治はしておらず、怪我のない頃よりも疲れやすくはなっているが、それでも気持ちに余裕があり、明晰に自分の行動を選択できている。左手の人差し指を使わないで行うキーボードのタイピングや家事など、仕事や生活の作業にも慣れている。
 
元々、私は物心つく前に腎臓病を患っており、そのお陰で精神的には鍛えられていた。何かアクシデントが生じても心理的な回復力は高い方だったが、マインドフルネス瞑想を意識的に行うことで、精神的な回復力は高まっているように考えられる(そのことが『サーチ・インサイド・ユアセルフ』内でも取り上げられている第五水準のリーダーに近づけていたら嬉しい限りだ。※3)。
 
「呼吸に意識を向けること」から始まるマインドフルネス瞑想。結跏趺坐(けっかふざ)、シャヴァーサナなどのポーズを強いるのではなく、怪我をしていても、手足が動かなくても行うことができる瞑想法。この心のトレーニングはやってみる価値がある。チャディー氏が「サーチ・インサイド・ユアセルフ」というプログラムを「『オープンソース』化し、グーグル以外の人にもアクセスできるようにする時が来た。この本は、その活動の一環だ(※4)」と書いているように、プログラムを理解し、実績や効果を知り、自ら実践するための手助けとしてはとてもお手頃価格であり、チャディー氏の思想が反映されている本ではないだろうか。
 
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※1:『サーチ・インサイド・ユアセルフ 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』、著:チャディー・メン・タン、出版:英治出版、2016年、p59
※2:『サーチ・インサイド・ユアセルフ』の中でも取り上げられているが、内発的動機づけと外発的動機づけについては、TEDトークのダニエル・ピンク氏の講演が簡潔にまとめられている。
※3:第五水準のリーダーについては、以下の本を参考にして欲しい。『サーチ・インサイド・ユアセルフ』でも一番の推薦図書になっている。
参考図書:『ビジョリナリーカンパニー2 飛躍の法則』、著:ジム・コリンズ、出版:日経BP社、2001年
※4:『サーチ・インサイド・ユアセルフ』、著:チャディー・メン・タン、出版:英治出版、2016年、p344
※5:本書の中で瞑想を科学的なトレーニングにしているのに加えて、出版に尽力した人々がいると思われる中、「監訳者による解説」が出版(再刊)に際して神秘性を強調する言葉で締めくくっているのは残念だ。また、監訳組織のプログラム費用が、「サーチ・インサイド・ユアセルフ」をオープンソースを謳うには難しいと思われる金額になっているのも、本書の思想とは遠いようにも思える。
※6:この本の続編にあたる『たった一呼吸から幸せになるマインドフルネス JOY ON DEMAND』(著:チャディー・メン・タン、出版:NHK出版、2016年)が最近発売されて読みやすい文体になっているが、データの詳細さがなくなった点と、頻繁に出てくる「JOY」という言葉に慣れない点で、『サーチ・インサイド・ユアセルフ』を選ぶかどうかは読み手によって異なると思われる。どちらも良い本なので、書店で見つけたら手にとって欲しい。

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あなたのビジュアルコミュニケーションは正しく行われているか?

2016.12.1

前回に引き続き、今回も視覚における色の作用について話そうと思う。というのも、目・鼻・耳・口・皮膚の五感のうち、目、つまり視覚から受け取っている情報量が極めて多いことは誰しも一度は聞いたことがあるだろう。それは日常生活でもビジネスシーンでも強い影響力を持っている。
 
デザインやアートを仕事にして街を歩いたり、人と会っていたりすると、色々と驚かされることがある。いい驚きのときは発見になるが、一方で目を疑うような場面と遭遇することもある。奇遇にも今年は別々の場所で、同じ色の使い方について目を疑う場面があった。
 

色の組み合わせによる作用。

 
「黄色+黒色」という組み合わせがある。どちらが地でもいいし、図でもいい。文字にするとよくわからないかもしれないが、注意喚起を促すマークや、道路標識の警戒標識で使われる色の組み合わせだ。国土交通省によると警戒標識とは「道路上で警戒すべきことや危険を知らせ、注意深い運転を促すためのもの(※1)」であり、その標識を見た人に危険を知らせなくてはならない。つまり、視覚としてはコントラストがとても強く、眼にとって刺激が強い組み合わせになっている。そして、道路標識や工事現場などで「危険」を知らせるために使われることが多いため、私たちにとっても「黄色+黒色」という組み合わせは、使い方によっては「危険」という意味合いを感じやすいものになる。
 
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一方で、アパレルブランドの「FOREVER 21」や宅急便の「クロネコヤマト」に危険を感じないように、使い方によっては遠くでも視認できるインパクトを与えることができる。それを可能にしているのもこの色の組み合わせが、人間の眼にとって刺激の強いものであるからだ(他にも動物をモチーフにした宅配会社はあるのに、クロネコヤマトだけ怪談話のネタにされるのも不思議な話だ。言うまでもないが、クロネコヤマトのサービスはとても素晴らしく、宅配会社の中でも私は彼らを頻繁に選んでいる)。
 

ビジュアルコミュニケーションの成否。

 
そこで私自身が遭遇した事例を二つ挙げる。一つ目は、地域の公民館に訪れた際に見つけたポスターだが、「空き家」を募集した内容にも関わらず、「黄色+黒色」という組み合わせで作られてしまっている。しかも、アイキャッチとして「空き」の字が強調されていることも合わさって、とても刺激が強く、身構えてしまうデザインとなっている。私はこのポスターを一目見たとき、「空き巣」注意を呼びかけるポスターかと勘違いしたほどだ。勘違いの時間はほんの一瞬で、すぐに「空き家」募集だと気付いた。しかし、誤解させることを狙っているわけでもなさそうで、そもそも時間をかけてポスターを見る人がいないように、視覚におけるビジュアルコミュニケーションでは制作時の狙いと異なる結果になっているのではないだろうか。
 
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二つ目の例は、あるプロジェクトで相談に乗った際に参考サイトとして提示されたのだが、障害者アートの認知向上を促す海外のWebサイトであり、色弱者でも見やすいように作られている。ターゲットが合っていれば良きデザインだろう。しかし、色弱ではない私にとっては極めてコントラストが強く、30秒も閲覧できなかった。ただでさえ刺激が強い「黄色+黒色」の組み合わせを、光を発するモニターで全面に使っているために刺激はさらに強くなり、閲覧した後、数分間は眼の調子が悪くなった。もちろん、ターゲットが合っている場合は良きデザインとなり、ビジュアルコミュニケーションは円滑に進むだろう(「背景色変更機能」は欲しいが)。けれども、相談に乗ったプロジェクトでは障害者案件を扱っているものの、ターゲットは健常者だった。それではWebサイトの作りは良くても、誰にも使われないものとなる可能性が高まる(その後、相談されたプロジェクトからは離れたが、企画者にとってもユーザーにとっても良いプロジェクトになっていることをお祈りする)。
 

色の作用を間違えないことでデザインは強力なツールになる。

 
先述したどちらの例も、色の使い方によってビジュアルコミュニケーションの成否が左右される事例だが、色の作用を上手く活用できれば、デザインはあなたの事業にとって強力なツールとなる。それは事業の内容、ターゲットの特徴、色の性質の組み合わせとしてほとんど決まってしまうものである。どんなに素晴らしい思想があり、社会的に貢献できる事業だったとしても、色の作用を間違えて使っていればビジュアルコミュニケーションは破綻し、人々は離れていく。そうならないためにも、プロフェッショナルなデザイナーに相談することをおすすめする。それは個人事業でも、スタートアップ企業でも、100年続く老舗企業でも同じだ。あなたの事業には必ず、ふさわしいデザインがある。
 
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※1:引用サイト 「警戒標識の基礎知識」

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Adobe MAXから考えるクリエイターに依頼するタイミング。

2016.11.10

クリエイターには欠かすことのできないツールを発売しているAdobe(アドビ)社。都合が合わず行けなかったが、そのAdobeにおける新技術を披露するAdobe MAX 2016がアメリカ・サンディエゴで開催された(※1)。2Dから3D描画が簡単に作れるツールや、文字だけの手書きの下書きから適合する写真を自動で選んでくれるツール、人間の声を覚えさせて編集し、元はなかった部分さえもその人の声で再現できるツールなど、これまで専門職とされてきたスキルが民主化するのを助ける驚くべき技術が数多く発表されている。
 
なぜ、このようなことが可能なのか? ビッグデータの解析能力の向上、エンジンの向上、AIの向上など関わる要因は多いが、その大元は決まっている。人間の知覚や認知は理論が決まっているからだ(少数における誤差はもちろん発生するが)。
 
たとえば、デザインにおける色。シンボルマークを作ったり、Webサイトを作ったりする際に関わってくる色だ。少々古いデータになるが、「COLORlovers(※2)」が発表しているロゴマークで使われている色の多さでは、青系や赤系の色が突出して多いことがわかる。これは、青系には冷静さ・爽快さによる安定した事業のスピード感をイメージさせる効果があり、赤系には情熱やエネルギッシュさをイメージさせる効果があり、その狙いをロゴマークの色に反映させるためだ。実際に、赤色で囲まれた部屋では体感温度が2〜3℃上がるという実験結果もあるほどだ(※3)。
 
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もちろん、良い効果ばかりではない。赤は血の色をイメージしたり、青は寒々しさをイメージさせることもある。自然食品を扱う店舗のイメージカラーが青系だと、扱っているものが食品だと一般顧客にイメージさせるのは難しいが、行政から助成金をもらうのが目的、つまり、B2Bのビジネスとなっているのなら青系でも問題がないだろう(その場合、安心感を与えるために明るい水色より、落ち着いた印象の藍色の方が望ましい)。
 
こういった理由から、事業にあった色合いや使う量のバランスを調整していくわけだが、バランス量と認知の関係性も決まっている。それは色だけでなく、形やレイアウトにも同じことが言える。つまり、私たちが普段見ているものと見たものから感じる効果は決まっており、だから私たちはデザインやアートを作ることができるのだ。そして、決まっているからこそ、私たちが「スキル」として仕事にしてきたことをAIが学習し、スキルがなくても簡単に「いい感じ」のものが作れるようになっているわけだ。
 

これからのプロフェッショナルに必要な能力。

 
しかし、先述したように「学習」し、「決められた」ものを作り出すことがAIにできることである。これは聞いた話になってしまうが、まだ機械やAIができないこととして「人間の手(指)の力加減」と「関係ないもの同士を結びつける能力」の2点が挙げられる。前者においては、蚕の繭(まゆ)から絹糸を垂直に引っ張ることは機械でも可能だが、そのまま糸を引き上げようとすると途中で糸が切れてしまうらしい。途中で糸を切らずに引っ張る指の力加減による繊細な動きはまだできていないようだ。後者においては、先日のブログ(※4)でも他者視点を持つ方法として話した、「関係ない話題」を「結びつける」ということができないのだ。
 
これは、電子レンジの発明で有名な話がある。軍事用レーダーの研究をしていたスペンサー博士が、レーダーの近くで働いていた人のポケットに入っていたチョコレートが柔らかく溶けていたことをヒントに、「レーダーによる電磁波」と「チョコレート(食べ物)」という関係ないもの同士を結びつけて「電子レンジ」を発明している(※5)。
 
こういった、関係ないもの同士を結びつけることも、将来的にはAIが可能にするだろう。しかし、それよりも先に、専門職とされるスキルがAIによって民主化し、単一技能における専門職は安価になるか、不要な職業となる。現在、AIによる精度の低さを指摘されていたとしても、必ず精度は向上する。そうしたとき、人間の仕事において必要になるのは、関係ないもの同士を結びつける能力や、多様な顧客体験(ユーザーエクスペリエンス:UX)を予測・選択して形にする能力だ。これらの能力を既存の専門職のスキルと結びつけていなければ、その職業は不要となる可能性が高まる。
 

これからのクリエイターに依頼するベストなタイミング。

 
専門職に依頼をするクライアントにおいても、現時点ではAIの精度が専門職のレベルに達していないことを理解する必要がある。そうでなければ、精度の低いものを自作したり、スキルの低いデザイナーに安価で依頼することになる。その先の顧客体験はひどいものとなり、顧客(ユーザー)が離れていくことは言うまでもない。問題提起の段階では素人はとても効果的であるが、問題解決の段階では専門家のスキルが効果的になる。これは、素人の問題提起が「関係ないもの」を生み出し、誰もがハッとする考えに結びつきやすいためであるが、専門的なスキルがなければ解決させることができないからだ。電子レンジを発明したスペンサー博士もエンジニアとしてのスキルがなければ発明(解決)ということは成し得なかった。
 
そのため、デザインやブランディングにおいて私たちが関わる理想的なタイミングとしては、かなり早い段階が望ましい。たとえば、Webサイトの場合、「Webサイトが必要なのだけれど、どうしたらいいかわからない」という段階でコンタクトをとってもらった方が良い。クライアント(依頼者)の事業のことは私たちは素人なので問題提起がしやすく、問題解決に必要なスキルを持っているので効果的な制作ができる。もしくは、クライアントにとって本当に必要なのはWebサイトではなくて、ブランドイメージを伝えるポスターやイベントツールだったということも実際にある。これも早い段階で関わらせていただいたことで可能にした問題提起と問題解決である。
 
逆に、ほとんどのことをクライアントの方で決めてしまって「後はカッコよくデザインするだけ(実際はレイアウトのみ)」という状態から関わることが、一番ややこしい状態だ。渡される制作内容が顧客(ユーザー)にとって望ましいものではない場合がほとんどであり、さらには、先ほど挙げた実例のように、そもそもクライアントにとって必要なものが異なっている場合もある。
 
高い能力を持った専門職は費用も高く、あまり言われたくもないような厳しい指摘も受けるかもしれない。しかし、そのために培っている知識・技術・応用力は費用に相応するものだと言えるだろう。安物買いの銭失いという言葉があるように、安いものには「品質が悪い」という理由がある。作ったものの先には、それを受け取る顧客(ユーザー)がいることを忘れないで欲しい。作ったものは自分だけで止まるものではなく、サービスや商品を渡したい相手(ユーザー)に届き、その人が抱いた印象ですべてが決まる。もう一度言おう、高い能力を持ったクリエイターは費用も高く、クライアントであるあなたへの指摘も多いかもしれない。だからこそ得られるものがあるのだ。それは、私がクライアント(依頼者)になっても同じ考えを持って接してもらっている。
 
※:EGUCHIMASARU.comのサービスはこちら。 
 
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※1:今年のAdobe MAXのレビューはこちらの2サイトがオススメ。「ITmedia Adobeの新技術11連発まとめ 音声データをPhotoshopみたいに編集――“魔法の技術”にクリエイター歓喜」「engadget Adobe MAX 2016:人間の声を「フォトショする」驚きの機能をAdobeがMAXでデモ(笠原一輝)」
※2:参考サイト 「COLORlovers」
※3:参考サイト 「カラーセラピーランド 色彩心理学(色の効果と心身への影響)」
※4:他者視点によるUXデザイン
※5:ポケットに入っていたのはチョコレートではなくて、キャンディーだったという説もあるが、今回の話題においてその議論は割愛する。

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ビジネスの健康+心の健康+体の健康で不安を和らげるお手伝いをする。

2016.11.1

日本語の「過労死」は「KAROSHI」という英語になりました。私自身も過労死のことを考えることは多くなっています。100時間を超える時間外労働や心無い言葉。それは私も経験しました。人物の性格の良し悪しと知識労働生産性は必ずしもイコールではありません。知識労働生産性の向上は、向上させるためのスキルがあり、人格の問題ではありません(知識労働生産性を向上させた副産物として、人格が改善されることはあります。なぜなら、そちらの方が周囲のパフォーマンスを向上させることに気がつくからです)。つまり、知識労働生産性を上げることは誰でもできることであり、どんな会社でもできることです。
 
通常業務に加えて、社内の仕組みを変える提案もしていた勤務生活。「仕組みを変える提案」の場合は、ほとんどボランティアで動いていました。体を壊したことで「このまま会社に残っていては自分の人生の目標が果たせない」と気づき、仕組みの変わらない会社を辞めました。
 
知識労働生産性を高めるビジネスの健康、頭の中が晴れる心の健康、運動や自然栽培による体の健康。瞑想、ヨガ、自然栽培、グルテンフリーなどを勉強していて分かったことがあります。秘訣は悟り。自然であることです。不自然なものは不健康になり、不安を募らせます。
 
ビジネスにおける不安は「顧客を満足させられるのか? 」「上司や役員を説得できるのか?」「納期までに終わるのか?」など。心における不安は「自分の言動はおかしくないか?」「眠れるのか?」「苦しみがとれるのか?」など。体における不安は「太りたくない」「病気になりたくない」「老けたくない」など。ビジネスにおいても、心においても、体においても、不自然で不健康であれば不安は募る一方です。この仕組みは完全に決まっていて、だからこそ自由になれます。デザインもビジネスもやり方や理論が決まっていて、そのために、多種多様な企業が成功できているのです。生まれてすぐに腎臓病になった私が過労をしても鬱病にならなかった理由は、仕組みを知っているという悟りにあります。
 
私がデザインを仕事にする理由は、より多くの人に、知識労働生産性を高めてもらって、仕事のパフォーマンスを効率良く上げてもらうためです。私がアートを仕事にする理由は、より多くの人に、「こんな方法もあったか」と、いくつもの道があることをひらめいてもらうためです。私が自然栽培やグルテンフリーを薦める理由は、より多くの人に、体に良いものを摂ってもらうためです。ビジネスが円滑に進むとき、頭は冴えています。頭が冴えているとき、体は良く動きます。これはとても自然なことです。これらを広めるために、今の私はあります。
 
私がデザインを仕事にする理由:より多くの人に、知識労働生産性を高めてもらうため。
私がアートを仕事にする理由:より多くの人に、ひらめいてもらうため。
私が自然栽培・グルテンフリーを薦める理由:より多くの人に、体に良いものを摂ってもらうため。

 
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森林農法のコーヒーが飲めるスローハウス。

2016.10.27

先日、私のパートナーの友人たちが開いているゲストハウス「旅の宿 Retreat Space」に宿泊した。移住者が増えている房総半島の千葉県いすみ市にゲストハウスはある。近くには移住者の家が固まって建っている小さな集落のような箇所もあるが、そこから少し離れて今回の家はある。隣は山となっているので静かに過ごせ、田舎暮らしと聞いて想像できるような平屋建ての古民家ーー家の中は手入れがされていて綺麗で、縁側から庭が一望できる。
 
庭には家庭的な畑もあり、無農薬で栽培されており、今年から肥料も極力使わないで育てることに挑戦しているとのこと。季節が終わるプチトマトを一つもぎ取ってそのまま食べると、口の中いっぱいに旨味が広がる。それでいてしつこくなく、後味がさっぱりとしていた。「いくつでも食べられるなぁ」と思ったが、遠慮がはたらいて一つだけにして、草木染め用のブタクサ刈りと野生のみかんの収穫に同行させてもらう。
 
先ほどの遠慮がどこへ行ったのか、みかんを収穫したらまずは口に入れてみたいと食指が動く。野生のみかんは外の皮と内の白い薄皮がしっかりと貼りついていて剥きづらいのだが、これが自生の力。少し硬い皮を剥いた後は、薄皮を剥かずにヒョイと口の中へ。肥料を使った甘さではなく、ほどよい酸味の後にやさしい甘みがある。重層的な味によって、自分の舌がフル稼働しているのがわかる。
 

多種多様な木を育てる森林農法のコーヒー。

 
そうこうしているうちに、ゲストハウスの管理人であるヒデさんが、大原港で催していた朝市から戻ってきた。ヒデさんはカフェで約9年間働いた後、房総に来てからオーナーである友人たちと出会い、現在、管理人としてゲストハウスを任されながら、森林農法・無農薬有機栽培のコーヒーを広めている。
 
コーヒーの栽培における森林農法とは、コーヒーを育てる際にコーヒーだけを生やすのではなく、その土地で自生している他の木々も育てることで、害虫の天敵である虫や様々な生物が育ち、農薬や化学肥料を使わないでコーヒー栽培を可能にする農法だそうだ。森林農法でコーヒー以外の木が育つことで、コーヒーだけでなく、食料、薬、木材、飼料、燃料、樹脂などが収穫可能となり、生産者はコーヒーの収穫が安定しないときでも生活をすることができる。つまり、農薬や化学肥料不使用のコーヒーを飲むことができるとともに、コーヒー生産者の生活も安定し、生態系も豊かになるという仕組みである。
 
ヒデさんの淹れてくれた森林農法で収穫されたコーヒーを飲んでみると、味はしっかりと抽出されているのにすっきりとしていて、自然栽培で育った野菜のような印象だった。聞けば、コーヒーを淹れているヒデさんは森林農法のコーヒーを飲むまで、砂糖やミルクを入れないブラックでコーヒーを飲むことができなかったそうだ。それが、森林農法のコーヒーと出会ってからブラックで飲めるようになり、今ではお客さんにもブラックでコーヒーを提供している。普段はブラックでコーヒーが飲めない私のパートナーも、この日はブラックで飲めており、しかも、いくつかの豆を試していた。
 

健康的で智恵が詰まったゲストハウス。

 
添加物過敏症になって、食べられるものがほとんどなくなってしまった人が、自然栽培の野菜やお米なら美味しく食べられたという話はよく聞くが、それと同じことがコーヒーでもあり、実際に私の目の前で起きていた。東京駅から特急で約1時間、都会の喧騒はなくなり、健康的な食事とコーヒーを吸収しに行ってみてはどうだろうか。お風呂が薪でもガス(電気)でも沸かせるようになっていたりと、とても智恵のある場所であり、オーナーや管理人と話をしているだけでも楽しい時間だ。健康と智恵が詰まったスローな時間は、自分に優しくなれる場所だ。
 
ゲストハウス:旅の宿 Retreat Space
参考:フェアトレード・有機コーヒー販売 ウインドファーム「森林農法」
 
 
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『禅マインド ビギナーズ・マインド』を読んで。

2016.10.21

故スティーブ・ジョブス氏やシリコンバレーの企業でも愛読され、先日取り上げた『Q思考(原題:A More Beautiful Question)』でも引用されている『禅マインド ビギナーズマインド』。一巻と二巻が発刊されていて、2010年に発刊(新書版は2012年)された一巻目が、初心の心をはじまりとして禅の全体像を伝えているのに対し、2015年に発刊された二巻目は只管打坐(しかんたざ)、結跏趺坐(けっかふざ)という、修行の仕方に重点を置きながら禅を伝えている(二巻目は新書版のみの発刊)。
 
なぜ、この本が世界的ベストセラーになっているのか。多くの企業で取り入れ始められているマインドフルネスという考え方。今この瞬間への集中力を高めて、パフォーマンスを向上させやすくなるとして、マインドフルネス瞑想はGoogleをはじめ、Linkedin、Facebook、インテルなど多くの企業で導入されている。導入の先駆けともいえるGoogleのサーチ・インサイド・ユアセルフというプログラムの開発者であるチャディー・メン・タン氏は著書(*)の中で、古来からの瞑想のあり方をこう語る。「瞑想は魔法のようなもの、謎めいたものとは見なされておらず、ただの心のトレーニングだった」。そして、マインドフルネスを練習した人の前頭前野の情動設定値が、情動的知能を高める方向へシフトしたという結果を示した。
 

プラグマティックな禅。

 
前置きが長くなったが、現代社会において「幸せになること」と「生産性(パフォーマンス)を向上させる」ことは密接に結びついている。そして、情報過多となり、ノイズの多い現代社会において、ノイズに惑わされずに集中することが生産性を向上させることにつながるとも信じられている。その一助となるのが、マインドフルネスという考え方であり、瞑想や坐禅だ。
 
古典的に禅をやっている人からすると、この一連の考え方は不純に感じるかもしれない。しかし、著者である鈴木氏は禅の悟りを映画のスクリーンに喩えて、坐禅をすることで汚れのない真っ白なスクリーンをもつことが最も重要と言いながらも、「たいていの人は汚れのない真っ白なスクリーンには興味をもちません」とも言っている。坐禅をし、瞑想をすることで最終的には悟りに気づき、その状態を常に保つことができるようになることで、今まで抱えていた恐怖心や不安はなくなり、平穏な心の状態が維持できるようになるだろう。しかし、人々が注目しているのは悟りに至る前の「集中力が高まる段階」なのだ。
 
現代は極めてプラグマティック(実利的)な時代であるが、『禅マインド ビギナーズマインド』を読んでいると、鈴木氏が伝えていた禅が極めてプラグマティックであることがわかる(以下、引用)。
 
  「初心者の心には多くの可能性があります。しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません」
 
  「周りの人々をコントロールしようと思っても、できません。一番いいのは、好きなようにさせることです。(中略)好きなようにさせておいて、そして見守るのです。これが一番いいやり方です。無視することは、よくありません。それは一番よくないやり方です。二番目によくないのは、コントロールしようとすることです」
 
  「未来は未来であり、過去は過去であり、今だけが新しいことをするときです」
 
  「未来について、固定した考え、あるいは希望などを持っていると、今、ここにおいて、本当に真剣になれません。「明日、やろう」「来年、やろう」などと言います」

 
また、著書の中で度々、師弟関係についても触れている(以下、引用)。
 
  「ときに師は弟子に対して礼をし、弟子は師に対して礼をします。弟子に対して礼をしない師は、ブッダに対してもできません」
 
  「師の話を、透明な、純粋な心で聞けば、まるですでに知っていることを聞くように、それを受け入れることができます」
 
  「人間性のつねなる傾向として、教えを受け取るほうは、なにかその教えは、押しつけられているように聞こえます。」
 
  「…すべての戒律を守ることができないと感じるなら、取り組むことができると感じられる戒律を選んでもよいのです。(中略)まず最初にあるのは、規則ではなく、実際の出来事あるいは事実です。ですから、自分の戒律を選ぶチャンスがあるというのが戒律のもつ性質なのです。(中略)どの方向へ行くかはあなた次第です」
 
  「師たちの間にはどのような葛藤があってもいけません。もしある師が別の師のほうが自分よりも適任だと思うなら、その人のほうを勧めるのです」

 
上記のような師弟関係のあり方や戒律との接し方は、現代における上司と部下、同僚同士の関係性、仕事の受注や選び方にも当てはめることができるだろう。上司が礼を欠いて部下と接すればパワハラのような接し方となり、自己認識ができなければ、自分の能力の限界を超えて仕事をし続け、短期的には仕事の成果は下がり、中・長期的には体を壊して自分の日常に影響がでることになる。
 

私自身の体験を踏まえて。

 
私も前職において残業時間が120時間を超えることもあり、80時間を超えるというのは当たり前だった。私にとって仕事は好きなものであり、「仕事=生活」だと考えていたので、そのときは構わなかったし、苦でもなかった。しかし、それには無理があり、私は体を壊した。その後、私は考え方を改め、仕事を何でも引き受けることよりも、労働生産性を重視するようになり、仕組みが変わらない会社を退職した。鈴木氏が著書の中で言っているように、禅において戒律が合わないのなら、違う戒律を選ぶことは自由なのだ。この戒律を、会社でのルールや仕組みと捉えれば、その会社のルールや仕組みと合わなければ、職場を変えることは自由だし、自分に合ったルールや仕組みのある場所へ進めばいいのである。
 
また、年功序列が生き残っている日本の社会では、「年上」「先輩」「上司」というだけで、その人の話は「重圧」を帯びる傾向が出てきてしまう。それは話す方もだが、聞く方も少なからず感じてしまうものだ。だから、話し手はその傾向を意識して、相手に伝わる話し方を勉強する必要があり、聞く方はその傾向を意識して、相手が伝えたいことに集中する必要がある。
 
それ故、現代日本での「年上」「先輩」「上司」にあたる人は、相手に自分の話が伝わらないからといって「私が言ったからやりなさい」ではなく、「言い方を考える修行を与えられている」と思考を変えた方がいい。それは、自分がそのような立場になってきていて強く感じる部分でもある。クライアントの対応でも同じだが、相手に伝わる話し方を一瞬一瞬で考えることによって、話す内容は論理的かつ具体的になるし、考えるという一瞬の間(ま)によって、自分が冷静になっていくのを感じる。不純なように聞こえるかもしれないが、私はそれを楽しんでいるし、その都度、修行だと思っている。
 
鈴木氏はこのようにも言っている(以下、引用)。
 
  「唯一の道は自分の人生を楽しむこと、それだけです。(中略)それこそが、坐禅を修行する理由です。(中略)最も重要なことは、ものにだまされないで人生を楽しむことができるということです」
 
私も含めて、人は幸せでありたいと願う。幸せは不安とともにあるが、不安をすべてなくすことはできないだろう。しかし、幸せであるときの感覚は知っている。優しく、平穏で、気持ちのいい感覚だ。それを手に入れるために仕事や修行をすれば苦しいものになるが、幸せであるときの感覚はすでにそこにあるもの、仕事や修行とともにあってもいいものだとわかれば、一瞬一瞬が幸福に変わる。それを伝えてくれる本であり、禅という特殊な環境だけでなく、仕事や日常生活での自分のあり方や、上司と部下の関係性にフィードバックを与えることができるビジネス書でもある。
 
*『サーチ・インサイド・ユアセルフ 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』、著:チャディー・メン・タン、出版:英治出版、2016年
 
 
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再現性を高めるアウェイクニングメモ。

2016.10.13

打ち合わせ用の資料を作るときや、戦略的パートナーとのちょっとした会話のときなどに「あの本に書いてあったものが使えるな」というようなことがあるだろう。そのような場合、書籍であっても、ネット記事であっても、記憶から「同じように引っ張り出せること」が生産性の高い会話への糸口となる。記憶から引っ張りだす方法が、時と場合によって異なっていると、どこにあった内容なのかを覚えている必要が出てきたり、もしくは、それらを紐づけている表が必要になったり(パスワード一覧表のようなものだ)、最悪の場合、情報が間違った状態で相手に伝ってしまうことも生じてくる。
 
人間の記憶というのは曖昧なものだ。ドイツの心理学者であるエビングハウスが行なった記憶と忘却時間との実験では、新しく覚えた記憶は1日で約74%を忘れてしまい、その後の1ヶ月で最初から覚え直さないといけないレベルになることを示している。この実験では「無意味綴り」が用いられており、ヒントを与えても思い出せない「完全忘却」と、ヒントを与えたら思い出せる「再認可能な忘却」を分けていないなどの指摘があるが、「自分にとって意味を持たせることで忘れにくくすること」も可能だといえる。
 
しかし、だからと言って「覚える量」を増やすのは容易ではなく、覚えるぐらいなら、脳が処理するスピードを上げたいのではないだろうか。ずぼらな私はそう思う。そこで、私が行なっているのは、メモアプリを使った記憶におけるアウェイクニングメモを作成することだ。書籍や文献、ネット記事でも、「使える」と思ったところをタイトルと一緒に、メモアプリに箇条書きにしたり、中略を交えて引用して記載することで、論文の参考文献欄を見ればその内容がわかるようなのと同じようにしている。ネット記事であれば、タイトルとURLさえわかれば十分だ。つまり、「忘れないように覚えておく」のではなく、「いつでも記憶から引っ張り出せるようにしておく」のである。
 

クラウドによる恩恵。

 
メモアプリを使う前は、本に付箋を貼って本棚にしまったり、kindleを使ったり、自炊(書籍のPDF化)を試したりもしたが、どれも「思い出す方法」がバラバラであり、本棚にある内容を目の前の人に話すことはほとんど不可能であった。Evernoteも試してもみたが、当時の私にとっては機能が多すぎて「メモに直接アクセスできて、もっと動作が軽くて、機能が制限されているツール」を探していた。その後、iPhoneとmacのメモアプリがクラウド上で同期をするようになってからは、純正のメモアプリを使ってアウェイクニングメモを作るようになった。
 
必要な箇所を書き出す作業によって、その内容が使われる際のイメージもつきやすく、知識を自分のものとして吸収しやすくなっている(意味を持って記憶するということだ)。内容を忘れてしまった場合も、メモアプリを見れば「どの記事のどんな内容だったのか」を思い出しやすくなり、会話や資料作成の再現性が高まっている。
 

本を紹介するということ。

 
また、ビジネスマンにおいて、「本を勧めること」や「本をプレゼントすること」は相手に興味を持っていたり、理解していることへの表れにも繋がり、戦略的パートナーシップを深めるきっかけづくりにもなる。そんなときに情報があやふやであったり、個人的な好みでしか勧めることができないと、仕事においてもそうであると勘違いされたり、プレゼンが下手と思われる可能性も出てくるだろう。友人関係においても、あやふやな情報を話す人として思われるているかもしれない。人に何かを勧めるというのは「あなたにとって、こんな理由でベネフィットがある」と説明ができなければ、紹介された人は動き難いのである。購買モデルが企業からの押し売りではなく、紹介(口コミ)と調査に変化した現代において、どんなタイミングでも忘却した記憶を呼び覚ますアウェイクニングメモはおすすめの方法だ。
 
 
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労働生産性を向上させるUXデザイン。

2016.9.29

SNSやスタートアップ企業が台頭し、日本でもLINEが普及したり、海外企業のサービスや商品が普及していくにつれて、UX(ユーザーエクスペリエンス:ユーザー体験)という言葉を聞くようになっているだろう。私も例外ではなく、UX:ユーザー体験を重視した提案をするのには、そちらの方が、企業にとってパフォーマンスが高くなるからだ。
 
「企業にとってパフォーマンスが高くなる」ということはどういうことだろうか? 「株価が上がった」「従業員の満足度が高い」「純利益が上がった」など細分化すればキリがないが、少々乱暴な言い方をすると、総括して「生産性が向上する」ということがいえる。
 
公益財団法人日本生産性本部が発表しているデータを見ると、日本の労働生産性は国際的に見ても低い。労働生産性の低さは1970年代から変わっておらず、昨年のデータでは主要先進7カ国中最下位であり、OECD加盟諸国中では21位となり、平均を下回っている。製造業においては主要先進7カ国中3位(OECD加盟国中10位)となっているが、オートメーション化が進む近い将来、人間の仕事に必要なスキルが育っていないことになるので、むしろ、喜べない事態だろう。
 
労働生産性だけがすべてではないが、生産性とは時間と利益の関係性であり、サービス残業・過労死とも関係がないわけではないので、見過ごしていい問題ではないことは明らかだ。
 

購買モデルの変容。

 
SNSやスマートフォンの台頭により、ユーザーは商品を購入する際に「調べる」ことが当たり前となった。商品自体の性能や評判、商品を作っている企業、競合などを時間をかけて多角的に調べるようになっており、購入するに値するかを査定している。それは大げさな企業コピーでもなく、押し売りのキャッチコピーでもなく、ユーザーにとって企業や商品が「信じられる相手」かどうかを判断しているともいえる。
 
その中では、企業目線の押し売りも「お客様は神様」のような過剰なサービス精神も必要ではないし、粗悪品を売ればその評価が拡散され、ユーザーは離れて商品もサービスも売れなくなる。つまり、今までの日本企業のやり方ではユーザー体験を満足させることができなくなっており、多くの企業が問題として手に余り、放置するか、どこかの広告代理店や制作会社に丸投げする事態となっている。しかし、丸投げされた方も「昔ながらのやり方」によって、ユーザー体験ではなく、自社の利益を求めるあまりに、UXデザインが効果的に機能していないのも事実だ。
 
そうすると、会社としての利益も下がり、労働時間も無益に増えることにつながる。いつまでも企業目線の押し売りをして利益が上がらないのは、ユーザーが物を買わなくなった時代になったのではなく、ユーザーにとって商品やサービスを購入するに値しないと判断されているのだ。
 

ユーザー体験にお金を払う時代。

 
このことは、ニュースアプリでも似たようなことがいえ、ユーザーにとって価値がある記事が集まるようになっており、情報サイトは記事におけるユーザー体験を無視することができなくなっている。たとえば記事に載っていたカフェに行ってみたら、サービスや雰囲気が良くなかった場合、その記事を書いたライターのその後の記事は信用度を失うし、そういったライターが多い情報サイトも信用を失って購読者が離れていき、ニュースアプリにも掲載されにくくなる。それは老舗であっても、スタートアップ企業であっても同じだ。
 
以前のビジネスモデルなら、競合他社を追い抜き、突き放したり、ユーザーに購入させる方法に目が向いていたかもしれない。しかし、現代のビジネスモデルでは、いかにユーザー体験を満足させるかであり、だからこそ、ユーザーにとって使いやすかったり、使った心地が改善されるような商品やサービスを提供する必要が企業には求められている。ユーザーのことを考慮した結果、自社の労働生産性が向上する仕組み。それがUXデザインになっている。
 
参考:公益財団法人日本生産性本部「労働生産性の国際比較2015年版」

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アートの依頼仕事。

2016.9.28

アート関係での依頼仕事で、先日、襖絵に手を加えることをしました。既に完成されているものに手を加えるのは久しぶりのことで、しかも、珍しい幅の襖で本来なら3枚で使うところを2枚で使っているため、1枚あたりの幅が広く、威圧感さえ感じるものでした。
 
実は、その襖がある家は近々取り壊して、一家で別の住居に引っ越すとのこと。しかし、今の家は、依頼主とお亡くなりになった祖母との思い出がある家であり、描き終わってから知ったのだけれども、特徴的な襖の幅も祖母のこだわりだったようです。
 
偏狭なる賞賛と批判のゲームを降りてからは、こういった依頼が増えています。自己表現ではなく、中庸の道として作品があるべき姿として世に形作られること。亡くなった人との関係性が含まれる作品をつくること。第三者である自分は予測するしかないが、今を生きている依頼者へ、そっと寄り添えるような作品でありたいと思います。

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