Archive for 2015.7

進んだり、進まなかったり。

2015.7.26

作品が進んで、進まずってことを繰り返していると、自然物を思い出す。人工ってことになると、同じ人間が作り上げた約束事、有益かどうかをベースに置くことができるので、進むしかなくなる。人工でありながら滞るということは、集まっている人間達が別々の有益を奪い合うからだ。
 
作品は良い。作品が進まないっていうときは、「どうしようもない大きなもの」が働いているからだ。
 
それは自然と似ている。陽が出たり、雨が降ったり、蜂が飛んできたり、獲物が食われたり。作品の一枚一枚っていうのは、そんな風に自然と自分の関係性で出来ているようなものだ。
 
だから、飽きずに面白がれる。

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たぁくさんのひとつ。

2015.7.20

久しぶりに夏の海に行った。行ったのだが、ほとんどを海の家で寝て過ごし、音楽と人の声で溢れていたが、時折聞こえてくる波の音が、目の前に海があることを意識させた。
 
数年前に、友人と海に散歩に出かけることをしてからは、海に出かけることが増えている。そのまた昔の学生時代は、はしゃぐために行っていたようなものだが、散歩で行くようになってからは、波の音を聞き、水平線を眺めるためだけに行くようになっていった。
 
眺めているときや、波の音で昼寝をしているときに思うことはいつも同じだ。この先にたくさんの命があって、この中にもたくさんの命があって、この上にもたくさんの命があって、命が、たぁくさん集まっているのがこの星、この宇宙ということ。たぁくさん集まって出来ている宇宙の中の塵のような出来事が僕らの出来事。
 
海の景色が僕の中に出来上がった今となっては、海に行かずともこの景色を見ることができる。たぁくさんの命の中のひとつ。

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本質のための勉強。

2015.7.18

「Google Search Console」について勉強中。以前は「Webマスターツール」だったものだが、SEO対策において必須の知識だ。
 
ここで「知識」と言ったが、僕の考え方としてSEO対策は、どれだけユーザーフレンドリーであるかどうかだ。読みやすい文章、見やすいデザイン、レスポンシブか固定なのか……モバイルフレンドリーが検索結果に影響されることをGoogleから公式発表されてからレスポンシブが加速度を増しているが、アーティストサイトなどはモバイルフレンドリーにすることで世界観を壊してしまうものも多い。
 
事実、我々のユーザーは「ファン」でもあり、不特定多数の何も知らない人が「アート」「写真」と検索して我々のサイトに辿り着くようにはしていない。彼らは我々の作品と出会うことで意志を持ってサイトを訪れてくれたり、ポータルサイトから訪れたりするのだ。
 
つまり、ポータルサイトにおいては、画一的なSEO対策を迫られるが、我々のサイト作りは、実作品や思想を壊さずに伝えることが出来るのか、ということの方が重要になってくる。
 
これを履き違えると、とてもつまらないサイトになるのだ。なので、結局は本質を見極めるということが重要ってことであり、履き違えないために、勉強が必要になるのだ。

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一年前の話。

2015.7.12

(一年前の話)
 
人生というのは±0で出来ているのだろう。
 
昼飯を食べようと思い、友人のお店に着くと、母親からメールが届いていることに気がついた。
 
兄が大腸癌になったという内容だった。
 
幸いにも早期発見により、内視鏡手術で既に退院したということ。しかし、僕らの家系はやはり病気とは切っても切れない縁があるのかもしれない。正直に言うと、僕らは「生き切った」という感を持っている。僕らというと語弊があるだろうが、僕が僕自身に思っていること、僕が兄に対して思っていること、一族のほとんどの者に対して思うことでもある。
 
ただ、唯一違うのは、姪に対してだ。まだこれから人生がある。切り開くことができる。幼くして亡くなったとして、その人生を全うしたという説があるが、そう思えるのは、だいぶ先になるだろう。今は健康だが、僕ら一族の血を引く姪のことが心配になってしまう。
 
もちろん、彼女はそれでも自分の人生を切り開く力があると信じている。
 
それがマイナスの出来事だとして、プラスだったのは、兄の病気の連絡を聞いた後だった。
 
興味深い話を聞き、その話をする人がとても本質的だったのだ。情熱もあり、考えることも忘れていない。おそらく行動も速いだろう。若さ故の勢いもあるだろうが、それを差し引いても、本質を掴んでいると思える人だった。この人は面白い。

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「愛おしい」という言葉。

2015.7.5

ふと思ったのは「愛おしいって大事だな」ということ。愛よりも、愛でるよりも、もうちょっと、まぁるいフワフワしているのを柔らかく包み込むような感覚がしたのだ。
 
愛っていうと、重い使命のような感覚が混ざるし、愛でるというと、か弱い相手を想像してしまう。ところが、愛おしいっていう響きになると、単純に、大切なことを大切だというような感じがしたのだ。
 
そんなことを考えてみると、自分が大切にしている作品達や場面などを言うときに出てくるのは「愛おしい」って言葉が多かったかもしれないと気がついた。愛とか、愛でるって言葉も使っていただろうけれどね。たぶん、自分にしっくり来る言葉を選んでいるのでしょう。

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昨日のつづき。

2015.7.5

(昨日のつづき)
 
もし、人と人との関係性がそのようにできているのなら、人は人と争う必要は本当はない。って、この答えにいたるのって何度目だ?
 
そして、人は何のために争うのかっていうと、「恐れ」「不安」が人を争いに駆り立てる。信じすぎて寄りかかることになれば、執着、嫉妬という恐れや不安を生み、信じることができなければそのまま単純に猜疑心による恐れや不安を生む。
 
心を真ん中に保つことが、争いを生まないためには必要だ。
 
天があって、俺がいて、地がいる。真ん中に俺がいることで、作品が生まれるんだ。

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天だったのか。

2015.7.4

人を好きなるというのはどういうことなのだろうか? 人のことを想うということとも近しいが、=(イコール)ということではないように思える。受け入れ、受け入れられるという共生関係があるように思える。それは、天と人間の関係のようだと、今、感じたのだった。天ははじめからいて、僕らが心を広げればその分、僕らは自由になっていく。そんな関係性が、人と人の中でもあるようだ。つまり、心にいる天(人)との繋がりを信じれば、心が開いていく。

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