Archive for 2015.2

普遍的宇宙。

2015.2.1

喫茶店で仕事のことを考えていると、丁度いい程度の雑音が耳に入ってくる。微かなBGMに、人々の会話が混ざる。グループでいるお客の方が、大抵は声が大きくなり、グループ内での立ち場を確かめるかのように、一人一人の話す量が異なっている。
 
「もしも、ここにいるお客さんの全てが機械に操られているとしたら……」や「この一人一人にそれぞれの人生があるんだよなぁ」など、ふとした時に想像の種になっている。
 
喫茶店が宇宙だとして、そこにいる人々が星に見立てたら、この喫茶店はなんて美しいんだろうかと思い、その星もいつかは爆発し、塵となり、また別の星の種になっていく、そんな集まりかもしれないのだ。
 
そうか、宇宙はどこにでもあるんだ。そんなことを理解したのだった。

根を詰める。

2015.2.1

「何でそんな根を詰めるの?」と聞かれたとき、一番に思い浮かぶのは、「笑って死にたいから」だ。たくさんの人の死を見てきて、一番に思うのは、「人は死んだら何も出来ない」ということ。死んでしまった友人や家族、大切な人も出会えるのは、夢の中や頭の中でしかない。だからこそ、胡蝶の夢を信じられるのだが、それでも、こっちの世界では、死んだ人と会えないのがルールである。そして、死んでしまった人を見送る側が喜ぶのは、死んでしまった人の死に顔が幸せそうであるかどうかなのだ。そして、自分の中のルールとして、笑って死ねるかどうかが全ての基準になっていき、その自信を保つために、僕はやりたいことに根を詰めるのである。