Archive for 2014.12

成長する姿。

2014.12.29

僕は、やはり、「人が成長する姿」が好きなんだな。自分が成長する姿もそうだけれど、友達や仲間、家族でも自分以外の誰かが成長する姿も好きなのだ。
 
例えば、大学時代からの友人である「ノムリュウ」こと、野村隆介とやっている『cool running』は、既に3年以上経ち、来月で丸4年になる。始めの頃は、文章にテコ入れをしていたが、その内に彼の文体というものが見え始め、さらなる進化も見えてきている。
 
昨夜、ノムリュウと呑んでいて、その話に触れると、今までやっていなかったことにも挑戦し、吸収し、それを文章に反映させていっているとのことだった。つまり、意識的に自分を成長させようとし、成長していっているということだ。
 
僕は彼の文章が好きだ。やっていることは、ルポドキュメンタリーだが、中身は哲学であり、人が生きることを考え、それを文章とし、いつか答えを見出そうともがいている姿が浮き彫りになっている。しかし、暗さはなく、どこか垢抜けているのは、彼の人間としての魅力なのだろう。
 
そんな、明るい哲学が、彼の中にはあるような気がしている。
 
これからも、僕は、彼の文章を愉しみにしている。

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時節は笑顔にする。

2014.12.28

もしかしたら毎年話しているのかもしれないが、この時期になると別れるときの挨拶が「良いお年を。」に変わる。それは、仕事でも、プライベートでも、宅急便の兄ちゃんでも同じになる。
 
時節の挨拶をしていると、「これも偏見で生まれているんだよな」という気持ちになる。ただ、この場合は、良い偏見と捉えてしまうのだ。何故かというと、時節の挨拶をしている時は、必ずみんなが笑顔で挨拶を交わしているからだ。
 
笑顔で別れることの出来ること——全ての別れがそうあって欲しいと思う。いや、全てのことが、笑顔で終って欲しいと常に思っている。

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信用。

2014.12.20

先日、選挙があったけれど、政治というものを信用していない時代ではないだろうか。マニフェストという公約は、党のトップが言っていることであり、僕らの地域にいる党員が話している言葉は党のトップが言っていることを代弁していることだ。党員の総意がマニフェストという解釈もあるだろうが、メディアや広告に出てくるのはトップの人であり、その人が僕達に話していることとして認識するので、認識の観点から言えば、同じことである。 
 
つまり、かなり乱暴な言い方だが、街頭演説をしている人は、「トップダウンの話を忠実に遂行します」と言っているわけである。これは、トップダウン方式の会社の仕組みが疑われている現代から言うと、政治が信用されない理由に繋がってくる。
 
そう、政治を信用していないのではなく、政治家を信用していないのだ。「○○家」というのは、人の職業なのだから、人を信用していないということになり、人を信用していない時代になっているということだ。
 
じゃあ、どうしたら信用が得られるか——少なくとも僕は、同じ釜の飯を食い、正義と思われようが悪と思われようが、正直に話をし合うことで、信用を得てきた。そして、一人からまた一人という地道な方法で広がりを持つようになった。法律については詳しくないが、政治家はそんなこと出来たら面白いんだけどね。

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自分が支払うもの。

2014.12.14

「犠牲」という考え方がある。何かを得ようとする際に、何かを対価として支払うことだ。多くは、大事の時に使われる言葉だけれども、小さなものを買う行為にだって、お金や時間や移動などの労力を犠牲として払って得ているわけだ。
 
「全部良いとこ取りでいこうぜ」という気持ちを持っていないわけでもないし、周りを鼓舞する時にこういう言葉を使うこともある。だが、そうは言いながら、僕はコストを考えている。
 
これはいつも話している「時間、労力、金銭、感情」の4つであり、この4つを犠牲にするコストと、得られるメリットを計算している。
 
今回、改めて「犠牲」という言葉を使ったのは、やはり、僕が40年掛けてやろうとしていることには、僕自身の犠牲が伴ってくるからだ。僕が持病持ちであったことが、その犠牲のコストを支払う後押しをしてくれているのが、とてもラッキーなことである。
 
社会を変えるためには、みんなの犠牲ではなくて、自分自身が何を犠牲として支払えるかだ。

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体が起きる肉。

2014.12.13

昨日は、パワーが足りなくなり、自分自身の体からエネルギーを作りだす種がなくなっているような気がした。そのため、ラムステーキを食い、湯船に浸かり、約10時間の睡眠をとった。
 
すると、数週間続いていた咳が、今朝から格段に減り、体が軽くなっているのだ。家事を済ませ、中国整体に行き、その後、ステーキを食べ、仕事に向かった。
 
やはり、肉は体を起こさせてくれる。炭水化物、野菜など、色々な食べ物があり、たくさんの主義主張があるが、僕は血肉となる肉が好きであり、必要分だけ食べたいのだ。
 
もしも将来的に、カプセルで栄養素を摂るのが当り前になった時代、僕のような人間は、体をつくることが出来るのだろうかと、いらん心配をしてしまった。

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宇宙のワクワク。

2014.12.7

日本化学未来館に行ってきて、宇宙のことに触れてきた。本当はチームラボの展示会を見ようと思っていたのだけれども、混み過ぎていたので止めて、常設展に行ったのだが、これが正解だったのかもしれない。
 
宇宙の話は正直いってよくわからない。よくわからないのだけれども、なぜこんなにもワクワクするのだろうか。無重力のフワフワしている様子も楽しそうだし、酸素がないっていう恐さもある。
 
つまり、僕らがなかなか行けない冒険スペクタクルが、宇宙の話にはいつも詰まっているのだ。「何だかよくわからないけど凄そう」という期待感と、心臓がギュッと縮こまるような緊張感がワクワクになることを、僕は思い出した。
 
こういうワクワクを仕事に持ち込んでいった方が、面白いよね。

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「her」を観て。

2014.12.6

「her」という映画を観た。人工知能を持ったOSに恋をする男性の話である。劇中、彼女(OS)は、体がないことをメリットとして捉えるようになり、「時空を超えてどこへでも一緒に行ける」ということを語った。そして、死ぬこともないとも。映画を見ながら「こんなにユーモアに溢れていて、魅力的な人といつも一緒にいられるのは幸せだろうな」と思っていたが、先の言葉を聞いたときに、「既に亡くなった人と会話をするようなものと似ているのかもしれない」と思ったのだった。
 
僕は時々、ダ・ヴィンチなど既に亡くなってしまった人達と会話をする。正確にいうと「会話を想像している」と言えるのかもしれないが、この体験がリアルのものとして実感出来ていれば、それは現実であると変わらない。
 
想像が実感かどうかは、荘子の「胡蝶の夢」からも同じ見解になるだろうが、今回大事なのはそこではなくて、最初に羨ましいと感じたことを、既に僕は出来ていたということだ。「現実にいないと思われている対象」と会話をし、それに実感を持つということ。そこで僕がどれほど救われ、背中を押されてきたか。主人公にとってのOSの中の彼女は、僕には死んだ人として、既にいたのかもしれない。そう思えば、近未来も、今も昔も変わらないのだろうな。

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