Archive for 2014

宇宙のワクワク。

2014.12.7

日本化学未来館に行ってきて、宇宙のことに触れてきた。本当はチームラボの展示会を見ようと思っていたのだけれども、混み過ぎていたので止めて、常設展に行ったのだが、これが正解だったのかもしれない。
 
宇宙の話は正直いってよくわからない。よくわからないのだけれども、なぜこんなにもワクワクするのだろうか。無重力のフワフワしている様子も楽しそうだし、酸素がないっていう恐さもある。
 
つまり、僕らがなかなか行けない冒険スペクタクルが、宇宙の話にはいつも詰まっているのだ。「何だかよくわからないけど凄そう」という期待感と、心臓がギュッと縮こまるような緊張感がワクワクになることを、僕は思い出した。
 
こういうワクワクを仕事に持ち込んでいった方が、面白いよね。

「her」を観て。

2014.12.6

「her」という映画を観た。人工知能を持ったOSに恋をする男性の話である。劇中、彼女(OS)は、体がないことをメリットとして捉えるようになり、「時空を超えてどこへでも一緒に行ける」ということを語った。そして、死ぬこともないとも。映画を見ながら「こんなにユーモアに溢れていて、魅力的な人といつも一緒にいられるのは幸せだろうな」と思っていたが、先の言葉を聞いたときに、「既に亡くなった人と会話をするようなものと似ているのかもしれない」と思ったのだった。
 
僕は時々、ダ・ヴィンチなど既に亡くなってしまった人達と会話をする。正確にいうと「会話を想像している」と言えるのかもしれないが、この体験がリアルのものとして実感出来ていれば、それは現実であると変わらない。
 
想像が実感かどうかは、荘子の「胡蝶の夢」からも同じ見解になるだろうが、今回大事なのはそこではなくて、最初に羨ましいと感じたことを、既に僕は出来ていたということだ。「現実にいないと思われている対象」と会話をし、それに実感を持つということ。そこで僕がどれほど救われ、背中を押されてきたか。主人公にとってのOSの中の彼女は、僕には死んだ人として、既にいたのかもしれない。そう思えば、近未来も、今も昔も変わらないのだろうな。

自然と人類の関係。

2014.11.30

最近、満天の星空を見ていないことに気がついた。山の中で星空を見ていない。危険を孕みながらも、見蕩れてしまう絶対的な美。感動に震え、自分のやっていることが、どれほどちっぽけなものであるのか——あぁ、ここに近づきたかったという気付き。
 
僕達、人類は何に憧れてきたのだろうか。スーパーヒーロー、神などいるが、その根源的な部分では自然だ。自然の圧倒的な巨大さ、暴力性、そして美しさに僕達は心を動かされてきたのだ。
 
その憧れが薄れる時、人は全知全能だと思い上がり、数多くの失敗を繰り返してきた。戦争、公害、虐待など数え切れないほどの冒涜が僕達の歴史でもある。 
 
そうならないためにも、星空を見ようと思った。

ループ。

2014.11.29

いつか、本当にいつか終わりがあるとしたら、それを「死」と呼ぶのが一般的だろう。だが、「ALL YOU NEED IS KILL」という話の中では、死ぬとその日の朝に戻り、ループしてしまう。死ぬまでの記憶はループをしても残っている。
 
もしも、そんなことが起っているのなら、終わりのない今日を生きることになる。しかも、殺されて最初に戻るのだ。戦場という場面なので、あの手この手を試して、ループを抜け出す方法を探るが、これを僕達の生活に置き換えて考えて見ると「仕事」だ。
 
終わりがなく、永遠と同じように見える作業を繰り返していると人は精神を病む。辞めることを選ぶ人もいるが、死ぬことを選ぶことによって、終わりを作ろうとする人もいる。
 
しかし、劇中のように、終わりのない世界にいたとしても、どうにか工夫して、変化をつくり、別の生き方をつくろうとする人もいる。どちらが正しいかというのは、一概には言えないが、それでも人間は変化がなければ生きていけない生物だということは明らかなのだろう。

孫を見る目。

2014.11.24

久し振りに山へ行き、川辺で酒を飲んでいた。その帰り道、河原で遊んでいる家族連れを何組か見かけ、しばらくの間、眺めていた。
 
一組は、3世代の家族で、2〜3歳児くらいの男の子の孫を除いて女系家族だった。男衆は家で酒でも呑んでいるのかもしれない。もう一組は、3〜4歳くらいの女の子の孫と祖母の二人だった。
 
どちらも、子どもを愛(め)で、孫を愛でているのが、わかる。それと同時に、「あぁ、こういう世界を守りたいんだ」と思ったのだ。当り前にあるような日常、誰かが誰かを慈しむことで生まれる日常だ。
 
それにしても、僕の祖父母もそうだったが、どうして、戦争なんて悲惨なものを経験して、あれほどまでに僕らに優しく出来たのだろうか。厳しい部分もあっただろうが、それでも、無償の愛で守られているような気持ちがあった。戦争が悲惨だったからかもしれないが、それでも、そんな時代があったのを僕らが忘れそうになるほど、孫を見る目というのは、あんなにも慈しみがあるのだろうか。