Archive for 2013.9

新高島

2013.9.25

良い場所を見つけました。
 
最近、自然の中に入れていないので、「参ったな~」と思っていて、痛みの残る首をどうにかしてもらうために、鍼整体院に行ったのだけれども、あまり良くならず、「参ったな~」と再び思いながら、なんとなく電車に乗りました。
 
アパレルのお店を散策してから、「そういえば」と横浜から新高島へ歩いていく道に川が流れていたのを思い出し、そちらへ歩いていました。
 
すると、風が心地良いんです。
 
涼しさになれていない体には、ちょっと寒い気もする程度の風です。羽織っているシャツがパタパタ音を鳴らし、髪の毛がサラサラと遊んでくれる風です。川を眺めながら歩いているとベンチがあったので、仰向けになり、眼を閉じて風を感じることに体の意識を向けました。
 
体が、徐々に自然に戻っていく感じがしました。

そろそろ、調子が上がってきそうです。

好きな瞬間

2013.9.23

作品と一体になってつくれる瞬間があります。エゴがなくなる瞬間というか、作品そのものが視えるんです。その視えたものを作るための動きが、自分の意志や体を離れて出来てしまうことがあります。余分な利益を考えることも遠ざかり、作品と繋がることだけで、自分ができているような感覚です。いや、そこに「自分」という感覚はありません。「作品ができていく」っていう感覚だけです。一番、好きな感覚かもしれませんが、納品が待っている場合は、その後に引いてみなきゃならないんですよねー。今作っている、「欧文のみ名刺」もその1つです。最近は、この「引いてみるとき」も好きになっています。

辻褄が合っていること

2013.9.22

土の感触、机の感触、皮膚の感触――物事には色々な触れた時に感じる触感があります。自然物には自然物の触感があり、自然物を加工して生まれたものには、そうでしか得ることの出来ない触感があります。皮膚一枚とっても、化粧をしている皮膚とスッピンの皮膚は違います。
 
前置きが長くなってしまいましたが、つくるとき、どんなにレタッチ(修正/加工)をしても、対象となっているものが本来持つ触感とかけ離れた触感にするのか、しないのか――いつも気にしています。
 
そこで辻褄が合っていないと、作っている自分自身に全く感動が起きないですし、予期せぬ発見も少なかったなぁ、と振り返ってました。

強さ

2013.9.21

「好き」って感覚を信じられるかどうかっていうときに、「いつ死ぬかわからない」ということを踏まえているかどうかが、キーになるでしょう。

それは、作品をつくる上でもそうでしょうし、誰かと話しをしていても抱く感覚です。いや、すべての物事においてそうかもしれません。
 
それが、「やりたいことをやる」という意識に繋がってくるし、「やりたいことをやる」ことを選んだ人には笑顔が多く、楽しく生きることを選んだ強さがあるように思えるんです。
 
その強さとは、「優しさ」です。
 
つまり、「優しい人」って強いんですよね。そして、根底にあるのが「やりたいことをやる」ってことです。
 
僕はこの数日、たくさんの人の優しさに触れていました。その度に思うのが、上記のことです。優しい人ほど強い。

僕の場合は……

2013.9.20

「元気であって欲しい」と、友人達と会うと必ず思います。闘うことと、好きなことに努力をすることは違います。
 
「闘ってきたんだな〜」と感じる人の言葉は、やはり棘があります。自然と闘う姿勢になっているんだと思うのですが、すると、闘う気がない人まで、棘を刺すことになります。けれども、好きなことに努力をしている人は、楽しそうです。楽しそうなので、「いつも笑顔なんだな〜」と見ていると思うんです。でも、努力をしていない、頑張っていないといったら、そうではない、楽しんじゃっているので、体が辛くても、心が満たされているんでしょう。
 
そして、NK細胞だとか、笑顔の効用だとかを聞くと、「笑顔であって欲しい」と思うし、結果「元気であって欲しい」と思うんです。だから、好きなことを見つけてほしいし、見つけた好きなことに時間を費やして欲しいんだよね。