Archive for 2013.6
優しい話
2013.6.24
昨日は入間川の渓谷で昼寝をして自然パワーを吸収していました。
自然の中で暮らすと難しいですが、ちょっとだけ自然の中に身をおいていると、地球に守られていることを感じます。
昼寝をしていたら雲行きが怪しくなってきたので帰り始めたら、案の定、通り雨に遭い、雨宿りをしていました。
雨宿りの最中も、風に乗ってくる飛沫が気持ち良く、しばらくの間、漂うような幸福感で惚けていました。
しばらくすると、雨が落ち着いたので再び駅を目指して歩き始めたら、通りすがりのおっさんが「これ、使いな」と傘をくれました。
まあ、使わないだろうなぁと思いながらも、僕の人生、その優しさにこれまで生かされてきたことを思い出して嬉しく思っていたら、再び雨が降ってきて、結局、傘を使ったんです。
地球も自然、人間も自然。地球が優しいなら、人間も優しい。
そして、優しさを吸収したので、優しさを還元したいよね。
昨日は入間川の渓谷で昼寝をして自然パワーを吸収していました。
自然の中で暮らすと難しいですが、ちょっとだけ自然の中に身をおいていると、地球に守られていることを感じます。
昼寝をしていたら雲行きが怪しくなってきたので帰り始めたら、案の定、通り雨に遭い、雨宿りをしていました。
雨宿りの最中も、風に乗ってくる飛沫が気持ち良く、しばらくの間、漂うような幸福感で惚けていました。
しばらくすると、雨が落ち着いたので再び駅を目指して歩き始めたら、通りすがりのおっさんが「これ、使いな」と傘をくれました。
まあ、使わないだろうなぁと思いながらも、僕の人生、その優しさにこれまで生かされてきたことを思い出して嬉しく思っていたら、再び雨が降ってきて、結局、傘を使ったんです。
地球も自然、人間も自然。地球が優しいなら、人間も優しい。
そして、優しさを吸収したので、優しさを還元したいよね。
好みの変化
2013.6.23
好みが変わってくることは、悪いことじゃないなと思っています。以前、「変化を恐れないことで会話が成り立つ」や「指針があれば、変化を恐れない」と話しましたが、好みについても同様のことが言えそうです。
子どもの頃、僕はポテトサラダもマカロニサラダも嫌いでした(マヨネーズが得意じゃなかったというかね)。その後、マヨネーズが平気になって、マカロニサラダが好きになりました。その時は、ポテトサラダも食べるけれど、嫌いじゃない程度でした。
そして、数年前から自宅でもポテトサラダを作るようになるほど、好きになっちゃったんですよね〜。
この理由を考えていたんですが、「好みが変わることが自然のこと」かもしれないですが、「変化を恐れないこと」が大きいのかなと感じました。
弁当についてくるサラダも残さずに食べていると、「あ、美味しいな」と思う経験があります。いつも、何と無しに食べていたのに、ふとした瞬間にご褒美のように「あ、美味しいな」という気持ちが生まれます。
そういう気持ちを経験すると、好きになりますよね。
でもね、変化を恐れて、拒否し続けていたら、その経験が出来ずに今も好きになっていなかったでしょうね〜。
好みが変わってくることは、悪いことじゃないなと思っています。以前、「変化を恐れないことで会話が成り立つ」や「指針があれば、変化を恐れない」と話しましたが、好みについても同様のことが言えそうです。
子どもの頃、僕はポテトサラダもマカロニサラダも嫌いでした(マヨネーズが得意じゃなかったというかね)。その後、マヨネーズが平気になって、マカロニサラダが好きになりました。その時は、ポテトサラダも食べるけれど、嫌いじゃない程度でした。
そして、数年前から自宅でもポテトサラダを作るようになるほど、好きになっちゃったんですよね〜。
この理由を考えていたんですが、「好みが変わることが自然のこと」かもしれないですが、「変化を恐れないこと」が大きいのかなと感じました。
弁当についてくるサラダも残さずに食べていると、「あ、美味しいな」と思う経験があります。いつも、何と無しに食べていたのに、ふとした瞬間にご褒美のように「あ、美味しいな」という気持ちが生まれます。
そういう気持ちを経験すると、好きになりますよね。
でもね、変化を恐れて、拒否し続けていたら、その経験が出来ずに今も好きになっていなかったでしょうね〜。