Archive for 2013.5

良い例

2013.5.31

今朝、薬局の前を通ると、掃除をしていた薬剤師の方々が「花が咲くんだねー、朝から発見」と路肩の草を見て話していました。
 
草には名前がついているでしょうが、一口に「雑草」と呼ばれる種類でしたし、おそらくね、薬剤師の方々も草の名前を知らなかったと思うんです(違ったらごめんね)。
 
どれだけの名前、知識を持っているかがステイタスになる現代日本ですが、名前を知らなくても、直接効用がなくても、生活を豊かな気持ちに出来る例ですよね。

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梅雨、ポジティブに

2013.5.30

梅雨に入っちゃいましたね~。
 
この言い回しから、梅雨が良いものと思われていないことが表れています。そして、これを言った直後に「梅雨を好きになれないかな」と気晴らし程度に思いました。
 
そうしたら、「喉が乾燥しないから、痛みにくいな」ということを思いつきました。ま、体調が悪くなる雨の日に考えていることですし、梅雨という期間の場合はリスクの方が多かったりするんですけどね。
 
ただ、そんな状況でも、ポジティブなことを思い浮かべることを僕は大切にしています。何かね、ネガティブなことって心を尖らせばポンポン思いつくし、今はネガティブなことを言った方が、社会のことを考えているようにみえたり、知恵が働いているように評価されがちですが、僕はまぁるくて温かい方が強いと思うんです。
 
昔は僕もネガティブな言動で批評ばかりをしていたんですけどね~、いや~、疲労ばかりが生まれるんですよね。
 
ポジティブな言動で動いている方が、笑って死ねる自信という幸せが手に入ったんです。これ以上、強いものってあるのでしょうか。

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餃子のはなし

2013.5.29

今、TVで餃子を作っているのですが、餃子は最強ですね。二日連続でも飽きないし、カレー同様、家でも作れたりします。
 
お店の味、家庭の味、友達の味などさまざまですが、カレーと違うのは、思い浮かべる味が個人でも特定されていないことが多いのではないでしょうか。
 
これをポジティブな側面から話すと、カレーよりも好みの差が出難い料理ではないでしょうか。簡単にいうと、「みんな美味しい」ってことです。
 
個人差があるはずなのに、みんな美味しいってとても凄いことだと今思いました。
 
そういうことって他にもあるのだろうか?

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二分していないはずが

2013.5.28

自分の体への意識というのは、本当に都合がいいようにしかしていないな、と思います。

呼吸法や、睡眠時間など、体への気遣いはマメな方でしょうが、それでもどこかの調子が悪くなって始めて意識することもあります。

「あ、お腹が痛いな」、「肘が痛いぞ」など、本当にふとした瞬間から痛みを感じるようになり、それからケアをし始めます。

そんな都合がいい僕の意識にも関わらず、体は今日も働いてくれているんですよね。

体も意識も僕なはずなのに、申し訳ないっす。

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中年を通らず

2013.5.27

中年ってなんだろうと思いました。
 
昨日、友人達と呑んでいて「中年を通らずに、少年から老人になりそう」と言われたのがきっかけなのですが、「そういえば、中年ってなんだろう」と考えています。
 
体力のことを話しているとは思いませんが、僕の勝手な中年のイメージは「カッコ良いかダサいかの別れ目」や「諦めることが多くなる」のかなと。
 
僕らの年齢(30)だと、ほとんどの大人達に自分を重ねることが出来るようになって、自分の向いていることや好きなことが漸く分かり始める頃だと思うんです。
 
けれど、中年になるまでに、分かり始めたことから社会の中で上手くやることの折り合いをつけているうちに中年になってしまうような気がしました。
 
そう考えると、僕は個人の幸せがなくなるような社会なら山の中で生活したいので、その答えを持っている間は、中年になりにくいのかもしれませんね〜。

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配慮

2013.5.26

作業をしながらテレビを流し聴きしていたら、離婚したタレントさん達がそのことについて話をしていました。
 
昨今の日本では、歯に衣着せぬ話し方や、さばさばとしていることが過大評価されすぎているように、僕は思います。誰かのことを話すのならば、それを聞いた人が、最終的には幸せになれるようなことを言いたいものですよね。
 
そして、上記のことで言えば、悪く話してしまうと「遠慮」がないということです。日本は配慮の国だったと思うんです。僕が大切にしている「粋」ということにおいても、好む場所に行っても長居はせず、楽しんだらサクッと笑顔で別れる——ホストは、たくさんの人と有意義な話をしたいものです。それを理解するのは配慮です。
 
遠慮をしないことが過大評価されすぎると、こういった配慮がなくなってくると思うんです。「仕事だから」や「悪くないから」じゃあ、ちょっと悲しい理由ですよね。
 
粋であることと、遠慮がないことの境目も難しいな〜。

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順序

2013.5.25

予想ですが、手紙が普及したとき、会いに行くことの価値が高まったと思うんです。

「大切にされてるんだな」みたいな気持ちが手紙よりも生じやすくなったのではないでしょうか。

それは、電話が普及したときには手紙の価値が高まり、会いに行くことの価値はもっと高まったと思うんですね。また、メールが普及したら電話以前の価値が高まったでしょう。

そして、SNSが普及した現代では、わざわざメールを送ることの価値が高まったような気がしています。

もしも、この順序でSNSの価値が高まるようなことがあるのかもしれませんが、そうしたら常に誰かに自分のあれこれが筒抜けになっている世界かもしれないんですよね。

そこで得られる情報は、ちょっと煙たいかな〜。

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赦しの順応性

2013.5.25

順応性というのは凄いなぁ、と最近はよく感心しています。
 
それは、日々の過ごす内容が変わったり、環境が変わったりすることがあっても、生き物は慣れることができます。
 
これが出来ないと、生きるのが辛かったり、生きられなくなったりします。その数が多いと絶滅します。
 
ただ今回は個人の話なのですが、個人の場合は、「順応性と赦し」が大きく関係しているのだと思いました。
 
服従と順応は違うけれど、何かが変わるストレスを赦すことができるか、変えようとするものを赦すことが出来るかどうか、そして、その結果に心がどうしても辛いのならば距離を持つことは大切なのです。
 
ま、僕の場合は「個人あってこその社会」だと考えているので、楽しいかつまらないかで、一緒にいるか離れるかを選らんじゃうんですけどねー。でも、基本だよね。

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どちらもね

2013.5.24

「情報を遮断する」ということが、ちょこちょこ流行っていると思うのですが、遮断することも、情報過多も向上を目指しているという点では同じなんですよね。
 
むしろ、悪い方向に進もうとしていても、本人は「悪い=良い」なのだから、良いと思われたことしかないと言えるかもしれません。
 
どうしても刺々しい気持ちが芽生える時は、このことを思い出したりします。なかなか難しいんですけどね〜。

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屋上

2013.5.23

実家が一軒家だったせいか、マンションやアパートというと新鮮な気持ちがあったりします。
 
子どもの頃はマンションに住んでいる友人と一緒に屋上へ侵入したものです。
  
けれども、どうあがいても屋上に行くことが出来ないところもあり、何かね、寂しいな〜と思ったりしたものです。
 
屋上のな〜んもないところは、空を眺めたり、風を感じたりするぐらいですが、それで満足できるんです。
 
久しぶりに屋上へ行ってみたくなりました。

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