Archive for 2013.4

雑記

2013.4.30

一枚上手くいくと、同じやり方で次の一枚を作ろうとする欲求がでるが、そんな一枚はない。
 
次の一枚には、次の一枚のやり方があるだけだ。
 
このことは、何にでも当てはまる。応用となぞることは別物。
 

 
昨朝、公園のベンチで寝っ転がっていたら、見知らぬおっちゃんと雑談がスタートした。おっちゃんは時折、草笛を吹いていてキツツキを呼んでいたが、どうやら、公園にある筍を採りたいが、見知らぬ親子連れが帰るまでは採りづらいとのこと。そこへ元・市職員の現・掃除好きのおやっさんが登場。雑談混じりに「採っちゃいな」と。
 
採り始めるおっちゃんを横目に、俺は寝っ転がることを再びはじめ、平和だな~と思っていた。
 
雑談は、人が表れるから好きだ。そして、おっちゃん達は色々な知識を自慢気にくれ、別のおっちゃんの話好きのことを「一人暮らしだから寂しいんだよ」と言う。
 
そういうの、嫌いじゃない。むしろ微笑ましい。死んだらできないことだからね。

Pocket

The limb

2013.4.29

ようやく形になった新作です。
詳しくはこちら

Pocket

巡り

2013.4.28

「光を描く」ってことは、「希望を描く」ってことだった。
 
この答え、何度目だ。

Pocket

雑記

2013.4.27

人から言われて気になっていたこと——希望を失わない理由や、笑顔でいること。
 
何故? と訊かれてもねぇ、なんて一瞬だけ思っちゃったけれど、希望の在処が僕自身に向けてないからかもしれない。僕がやろうとしていることの芽が出始めるのは、早くても25年は先だと思っている。繋げるための土台でいいと僕自身は思っているし、やり方も幾通りかある。
 
疑いようのない自信があるように思われるのも、僕自身の考えは残っていくし、作品も100年後は残っていると確信しているからかもしれない。
 
そういう意味では、やり残したことって、案外、ないもんなんだよね。
 

 
天って、空って、すごいよなぁ。
 

 
寺の境内で、日向ぼっこをしているのが日課になりつつある。和尚なのか坊主なのか知らないけれど、このご時世で、お咎めなしなのが嬉しい。
 
そんなある日の昨日、カメラを持った初老のお父さんが、境内にある木を撮っていた。一本の木に対して構図を変え、構え直し、最低でも3枚は撮ったように見えた。
 
一連の出来事を眺めていたら、被写体であるはずの木が、お父さんに撮影をさせているように見えたのだった。制作中、僕も作品に動かされているような感覚になることがある。それが、他人の動きに於いても感じてしまったのだ。木が手伝ったような、和やかな雰囲気だった。
 
全てのものがそうだとしたら、もしかしたら、僕は、何もつくってこなかったのかもしれない。
 

 
天を眺めながら考え事をしていると、大体は安らかな気持ちになる。
 

 
足下にいたアリんこを眺めていたら、高校時代の授業中、窓際にいたクモの動きを眺めていたことを思い出した。あの頃から、様々な技術や会話力は上がったけれども、実際のところは、な~んも変わっていないような心地がして吹き出してしまった。
 

 
アートでもデザインでも依頼でも自主でも、作り始める前に、「これで誰が幸せになるのか?」という疑問を持つようになった。つくづく、面倒臭い人間だと思われてるんだろうな、と苦笑い。

Pocket

雑記

2013.4.26

キャミソールって単語を目にしてしばらくの間、何のことかさっぱりわからなくなる。その間の思考:ソール → 踵(かかと) → 君、ソールになりたまえ → キミ、ソールに~ → キャミ、ソールに~ → キャミソール。
 
ほんとだよ。
 

 
仰向けになり、天を眺めていることが多くなった。
 
空でありたい。
 
空でありたいということが、しっくりきている。
 

 
広告をつくるとき、広告の先にいる人達(エンド)を考える。しかし、多くの制作者がクライアントを満足させることを重視している。その結果が「広告をみない」という現象ではないだろうか。当り前だ——エンドの人達の気持ちになってみたら、自分達よりも上の方でやりくりされたものが、降ってきているような状況なので、シラケてしまうだろう。
 
それは藝術も同じ。「アートはあってもなくてもいいもの」と言われるようになって久しいが、入りにくい場所で、よくわからない人達がやりくりをしているだけのものになっている。ポータルサイトやライフスタイル型が普及したとしても、話されていることが変わらなければ、聞く耳も持てない。
 
笑って楽しく酒を呑めることが、現代で最も必要なことだと思えている。その先に、ジャンルを超えた最高な作品がつくれると信じている。
 
発表? キャリア? 生存? 全然、気にしないっす。今日を粋であれたら、高潔であれたらって方が最高だね。

Pocket

雑記

2013.4.25

自然物はいつも偉大な師匠。木が木であるように、獅子が獅子であるように。崩れてもいいから、性質を掴み取って描けるように。
 

 
散歩がてら木に触れてみると、木肌の質感を思い出す。割れ目から中に触れることができると、外皮との質感の違いを思い出す。人工的なアウトプットばかりしていると忘れてしまう感覚。でも、アウトプットの先にいるのは人間という自然物。これだけは抜け落ちちゃいけないと、頭の片隅においている。
 

 
頭の片隅においているもの:自然、礼節、粋、感じたこと
同上(藝術制作時):同上 + 最高速度と最高密度
同上(広告制作時):同上 + 藤井保さんの写真とブランド名だけ記載された無印良品のポスター
 

 
『最強のふたり』(監督:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ)を観た。僕はよく「人は誰でも幸せにならなくちゃいけない」と言っているんだけど、そういうことが自然に描かれている、素敵な映画だった。
 
笑顔だったり、心が踊ったり、そんな当り前に素晴らしいことを我慢するのが、真面目っぽさの価値になりがちだけれども、僕はそんな社会なら不真面目の烙印を押されてもいいと思っている。
 
笑顔が仕事になるから、楽しいんだと思うんです。
 

 
日本人の科学信奉で腑に落ちないのが、病気などの悪い点はいたずらに信じるくせに、フロー効果や昼食後の10〜20分睡眠などのパフォーマンスアップは採択しないことだ。海外の人達から勤勉と評されるけれど、実は真面目そうに取り繕っているだけのような気がしてならない。笑顔やリラックスは重要なんだぜ!

Pocket

雑記

2013.4.24

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』をDVDで観ていた。代替語についていけたというのもあるだろうが、偏屈に観なければ、わかるものだと思った(もしや、加筆されてるの?)。でも、前作の「こい!」って手を伸ばす人間味が好きだったなぁ……。「ナディア」や「トップをねらえ!」が入っているよね?
 

 
CMでも映画でも映像作品での欧米と日本の違い——見ている総数が違うので公平な判断とは言い難いが、初見の人や背景を知らない人でも、腑に落ちて見ることができる作り方をしているのが、欧米作品には多いような気がしている。逆に日本の傾向は、背景や細部を知っている人の方が、作品を楽しめる作り方をしているような。
 
僕は、前者の方だ。そして、後者の性質もある(卑怯な言い方になっちゃった)。強い点を線にすることが出来たら、太い幹になり、やがては巨木になり、神木となる。そのためにも、まずは「強い点」をつくることに意識を集中している。弱い点での強弱を考えるのは、その後で良い。

Pocket

雑記

2013.4.23

作品は心の栄養になる、感動できる。感動の数だけ憎しみや恨みは消えていく。そういう意味では、藝術も広告も同じだ。人の役に立つもの。
 

 
狩野永徳さんの「唐獅子図屏風」の素描。形を上手くなぞろうとしていると上手くいかない。むしろ、「性質を強調できれば、より一層崩しても良い」と腹を括って線を描いていけば上手くいく。怒られそうだけど、まぁね〜。
 

 
整えたり崩すこと、性質を強調してもいいこと、勝負勘——前2つは時間をかけても成長できるが、勝負勘だけは経験がものをいう。まだまだ足りない。まだまだまだ……。

Pocket

雑記

2013.4.22

「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ(通称:合体人間)」、俵屋宗達さん「風神雷神図」を素描。
 

 
雑談好きの方が、理解力が高い人が多い気がしている。考えてみたら、雑談は相手の考えを拒絶したら出来ないことだから、相手の立ち場になって考えることが経験されるのだろうね。
 

 
笑顔に溢れている人——本当の苦労を経験すると、もう笑うしかない。ピエロになれる人は、人一倍の悲しみを経験した人だと思う。

Pocket

雑記

2013.4.21

今度は歌川国芳さんの「一ツ家」を素描模写。表情や動きを若干強調したので、模写とは言い難いけど。右腕の線の太さを間違えた。
 
性質に合ったデフォルメをすることが、今の課題。日本画の素描は最高の教材だね。
 

 
もっともっと技術を高めたいぜ、美術もデザインも。もっともっと仕事をせねば。
 

 
語弊があるが、業務をこなせばスキルは自ずとついてくる。だが、礼節がつくかどうかは、関わった人達に影響する部分が大きいと思う。粋、礼節、品格——全部つながっている。
 
スキルが高くて無礼な人よりも、スキルが低くても礼節がある人と行動したいとよく思っている。スキルは教えたら済むことだから。
 
この年齢になって、僕の振る舞い方を誉めていただけることが増えてきている。そんな時、関わってきてくれた人達のことも誉めてもらっているような心地がして、とても嬉しいし、誇らしい気持ちになる。
 
やっぱりね、友達や仲間、家族のことを誉めてもらえるのは嬉しいよね。

Pocket