Archive for 2013.3

一人一人の力を信じる

2013.3.31

理想としている世界をつくるために努力をし、成果を出す事は喜びに繋がるのは当然だと思うんです。しかし、叶えるための方法は1つということはなく、いくつかあるはずだ。
 
そして理想となること、つまり、大切なものがいくつもあっていいはずで、それらを考慮してきたのが人間の歴史だ。その点においては、欲張りで良いと自信を持って言える。後は度量の問題で、器が大きければいくつもの大切な人やものが入れられるんです。
 
「あっちか、こっちか」じゃなくて、「あっちも、こっちも」を実現する力が、どんな人間にもあるはずだ。それは、利益を出すということであってもだ。

度量の大きさ

2013.3.30

天気予報を見ていると「可能性が〜」、「○○かもしれないです」という言い方しかしていないことに気が付く。そして、当たったら翌日の天気予報で「ほら、言った通りでしょ」と満面の笑みになっているのが不思議になる。
 
断定をしなければ当たるんです。
 
けれど、断定をしたら外れるかもしれないし、当たるかもしれないんですが、断定が出来ない天気予報の仕方って、外れたときに、怒りに支配される視聴者の度量の小ささだったり、責任を被りたくないという予報士の恐れだと思う。
 
でもね、これを会社やプロジェクトに置き換えたら、滞ることは明白だ。予報士=先導者/リーダー、視聴者=メンバーになるので、恐れに支配されて断定しないリーダーと、失敗したときに負の感情に支配されるメンバーで構成されていることになる。
 
人間なんだから失敗します。でも度量が大きければ、失敗を笑い飛ばした上で次の糧に勉強する。つまり、次のやり方を発見できるんです。
 
日本が閉塞感で溢れているのは、リーダーにも、メンバーにも度量の大きな人達が減っているのも一要因で、それって精神論だよね。「信じる」っていう精神的な部分が、行動に影響するし、結果にも影響するんです。

映画の話からずれちゃった

2013.3.29

『ソーシャル・ネットワーク』(監督:デヴィッド・フィンチャー)を観た。やはり気になるのは「広告」を拒否するところだ。現在のFacebookでは広告が表示されているが、昔のものは違ったのだろうか。そして、「クールじゃない」という、広告を拒否する理由が真っ当だったために、気になってしまう。そう、貼り付いている広告は格好悪い。Webでも電車でも街でも、意味もなくぎゃーぎゃーわめくだけの広告は格好悪いのだ。狙って打ち抜くか、掬い上げたものが広告となるのが格好良い。スマートだと言ってもいいし、洗練されているとも言える。
 
おそらくFacebookって、ユーザーよりも作っている人達の方が何百倍も楽しいよね。Fbを始めたのは人よりもかなり遅く、あまり使っていないが、触ってみてそれだけはすぐにわかった。そして、その話題を振っても、誰も興味を持たないのが不思議だ。コンテンツビジネスは流行ったけれど、システムやサービスを作るのは皆興味がないのかな。どんな業界も、昔の様に中身の上質化を図るようになるか、もしくはシステムやサービスを作る方に変わっていくと思うんだけどな〜。コンテンツの種類を増やすのは、もう中途半端に古いでしょ。
 
そして、昨夜、考えていたら気付いた。キーワードは「幸せ」、「システム」だと。写真業界を含むクリエイティブ業界が衰退し、どうにか良くしようと今まで動いてきた。また、「悪い偏見を変える」ということにも注力してきた。それらを一言でいうと、「幸せのシステムをつくる」ということかもしれない。
 
1つの職業名で括ろうとしたり、出身畑で従事することを好む日本の傾向は世界的にも稀で、それが職能の細分化を加速させ、まとめあげる能力をなくし、いまだ文化レベルが低いことに繋がっている。それを突破しようと、僕は1つの職業名で括れない働き振りをし、写真家・デザイナー・思想家などといくつもの職業名を持つのは、未来の働き方(社会システム)に相応しいだろう(海外では当り前だが)。加えて、drunk afternoonで行っていることは、関わった人達が自立できるように、クリエイティブの力をつけることである。最後に、僕が他の業種の方々とお会いし、写真家の偏見を変えてきたのも、写真家が出来る仕事が写真を撮るだけではないことを知ってもらう、つまり、写真業界のシステムを変え、写真家が行える仕事を拡張(サービスの拡張)することだった。
 
なぜ、これらが「幸せのシステム」に繋がるのか。それは、人は自立して仕事をし、他者と交流することに喜びを感じるからだ。「出会いがほしい」、「仕事がほしい」というのが明白であり、職場恋愛をしたり、コミュニケーションツールが発達してきたことからも裏付けられる。職業を超えたら人と出会う確立は高くなり、スキルがあれば仕事になる。好意を抱く入口として、仕事が出来る人間に異性は惹かれる。そのシステムを作ることができたら、中途半端な写真人口は爆発的に増えるし、その中で自立することが出来たら、職業を超えた交流から、新たな仕事が生まれる。このシステムを作りたいんだと、漸く言語化できた。
 
映画の話から逸れてしまったが、良い映画でした。音楽もテンポも、人間性のあぶり出し方もね。

満足出来ていないことへの

2013.3.28

シンプルになればなるほど誤摩化しが利かなくなり、それ故、楽しさを抱きやすく、詰めの作業が一番時間をとられる。単に綺麗なだけだと、どこか壁を突破できていない感じがするが、少し気を利かせてみるとブレイクスルーが生じる。それは料理でいうところの、少量の砂糖を加えるのと似ていると気が付いた。
 
煮物はもちろんのことカレーや炒め物、漬け物において「微かに物足りない気がする」程度のとき、砂糖を気持ちだけ入れてみると、その他の味覚成分が際立ったりする。「微かに物足りない」「気がしている」程度のことなので、そのままでも充分通用するのだが、どこかで満足出来ていない自分がいる。そんな自分に正直になって一歩冒険してみると、一気に求めていた性質以上になったりする。
 
それは制作でも同じだな、と頻繁に思うのだが、楽しいことに正直になるのと同様に、満足出来ないことにも正直になるのも大切だ。

泣ける理由

2013.3.27

TBSで放送されていたドラマ「とんび」を観ていたのだが、毎回、泣いていた。僕の家には録画機器がないので、普段は寝る時間帯にも関わらず観ていたのだが、いつもいつも泣かされていた。
 
たぶん、このドラマで泣けるのは自分が親の歳になっているのも手伝っているだろう。姪や子ども達と遊んでいると極稀に父称で呼ばれるが、この瞬間の心の掴まれ方は何よりも強い。年数を積むほど育まれる感情は、今まで愛情と言っていたものが薄く感じられるほどの強い愛情であり、子どもにとっての大人が、どれだけ広く大きく包み込むことができる存在であれるのか。
 
まぁ、親には敵わないんだけどね。