Archive for 2013.2

自分が見てるから、手は抜かない

2013.2.23

力が欲しい——昔も今も思い浮かべる言葉だが、昔と今では中身が異なっている。昔は力任せにねじ伏せる力だったが、今では物を作るための力だ。それは技術でもあるし、環境でもあるし、肉体でも精神でもある。
 

 
逆境でも試練でもなく、単純に不条理なことが続けば、流石に僕だって魂が汚れてくる。しかし、自分だけは潔癖でいようと手を抜かなければ誰かが見てくれているし、少なくとも自分自身だけは見てくれている。「誰か」を信じることができなくなっても、「自分自身」は信じることができる。だから、手は抜かない。最後まで写真は撮るし、組版を作るし、プログラムも組むし、線を引き続ける。昨日出来なかったことが、今日は出来るかもしれない。技術は裏切らない。
 
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一歩ずつ歩く

2013.2.22

今週は寒さ+花粉の関係か、「物が見えていない」ような気がしている。それは他の諸感覚においても同様で自分の中心に辿り着けないような、逆に、外に発信できないような、そんな気がしている。しかし、回転が鈍るのなら地道にやれることをやった方が、この状態を突破できるような気がしている。

取り繕っても意味がない

2013.2.21

以前、海外の方と「感情の表し方」について話していた際、日本人は感情を表すのが下手なのではなくて、感動を表すのが下手なんだろうと思ったことがある。
 
もしもFBの「いいねボタン」を押すのと同じ位の感覚で、感動を声に出すことが出来たら、世の中はもっと良くなると考えている。その裏返しでもあるが、「いいねボタン」の押し(押さない)方を見ていると、その人の傾向が見えてくるので、これも面白いな~と思ってFBを眺めている。
 
金銭利益が出るようなものにしか「いいね」を押さない人は、やはりというか、「ここで僕にお金を出させたら格好悪いよ」ということを平気でやってしまう傾向があったり、無闇矢鱈と「いいね」を押している人と話していると「ぬるいなぁ」と感じてしまう。そうしたら、どこかの雑誌で著名そうなディレクターが「公平性を保つために『いいね』ボタンは敢えて押さない」なんて意味不明な発言をしていたり。
 
どんなに綺麗事を並べても、どんなに大きい会社に入っていたとしても、本当に些細なことで人間が表れる。だから僕は常に「人間の話」をする訳で、どんな案件だとしても、当事者の考えていることや理想としていること、自分がすることを話さなきゃならないと考え、実際にそうしている。それは正しいとか間違っているとかではなく、「嘘がつけない話題」ということであるのだが、キャリアや優しさよりも、嘘をつかない人間が結局最後は信頼できる。
 
これが今まで色んな人と会ってきた答えです。
 
追記:最終的には嘘をつかない人間の方が優しいし、キャリアも持っているしね。

好きなことを仕事に

2013.2.20

クオリティを求めていると悪魔が話しかけてくる。そいつは「無理だ。辞めちまいな」と手練手管を労するように耳元で囁く。そういう時、僕の怒りスイッチが押されて、「無理じゃねーよ!!!」と耳元の悪魔と闘うことになる。しかし、つくることは僕にとって一番好きなことなので、その際の表情は怒気に満ちているのではなく、口元は笑みに溢れて目は集中力を増していくようだ。
 
制作後、僕はいなくなった悪魔に対して「ほらな、無理じゃねーだろ(笑)」と勝ち誇る。
 

 
僕が「好きなことをやった方がいい」と言うのは、これが出来るからであり、もしも嫌いなことを職業に選んでいたら、悪魔に負けていたと思う。そうしたら技術もつかないし、自分のことには目を伏せて、何も出来ないまま焦って何でもかんでも社会のせいにしていただろう。修行中でも笑っていられるのは、好きなことを仕事に選んでいるからだ。

全部が努力

2013.2.19

僕は技術信仰なところがある。どちらかというと「天才肌」の誉め方を受けることが多いが、絶対的な技術信仰者であると断言してもいいくらいだ。「本当に稀に天才がいるけれど……」という場合でも、僕は「その人は絶対に努力をしている」と言える。
 
何を努力と呼ぶかはその言葉を使用する人によって様々だろうが、僕の場合は「培った時間、労力、感情」が使われている場合に「努力」という言葉を使っている。仮にボルト選手が、全くの素人でオリンピックを制覇したとしても、選手になる前には走り回ったり、筋肉を使っていたりしている。それが、体躯の成長に繋がっているし、走り方の向上に繋がっているため、「努力」という言葉を使っても良いと判断している。それは「○億円稼いだ」という場合でも同じであり、そのために彼は努力をしたはずだ。
 
それ故、僕はどんなに輝かしい結果でも「その人の努力だ」と感動できる。だって、輝かしい結果も、その結果を発揮する技術も、技術を手に入れるための努力も同じ位格好良いことだと思うんだ。