Archive for 2012.10

誰のものでも

2012.10.31

自給自足の生活を調べていると今の日本では、田舎の地域の人達と社会を築いて、住むためにまずはお金を払って、税を収めなきゃならないようだ。無人島で暮らすのも同じで、既に誰かの土地になっているからその人から買わなきゃならない。都会で暮らすのと変わらなくなったんだなと思い、結局は金と知恵と暴力で解決しようとするんだろうな—国境線によって身の安全が変わったりするように。人が来ないような山で野宿をしていても、既に誰かの所有物になっていて、どこかで人間の匂いがしている。病院で死ぬのは面倒臭いなぁと思って山の中で死んでも、病院で死ぬのと同じことになっている。海も同じか。唯一、体の声を聞いているときぐらいは違う心地がしている。

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ありがとうございます。

2012.10.30

よく話すことだが、一日は24時間しかない。生きている時間は短い。にもかかわらず、ベストな状態で望める時間はもっと短く、残りは知恵や技術を駆使してベストに近い状態を発揮できるかどうかになってくる。僕にとって大事なものは一つ、作品をつくることだけだ。たとえ作家と会っていても最終的には人を求めており、その度に「あぁ、違うのだな」と思うばかり。数年前、完全な朝型に切り替わってよかったのは、なし崩し的に人との関係を続けなくて済むようになったことだ。加えて、(この一年を振り返るのは早いが)2012年はつくることにおいて最初の気持ちに戻してくれた。つくるだけでよかったと。
 
散歩をしていると下校後の子どもたちが団地前で遊んでいるところと出くわす。朗らかな気持ちになるのも束の間、首に掛けられたキッズケータイや防犯ブザーに裏側を見たような気分になる。長い昼寝で見た夢は、懐かしい思い出だったか、光のある未来の景色だったかは定かではないが、安らかな気分になれた。
 
コレクターの方々との食事会で助かるのは、さすが僕の顧客(?)、僕のやりたいことがますますオープンな場と離れることに繋がるかもしれないにもかかわらず、励みになる言葉と態度を与えてくれるところだ。
 
いま死ぬかもしれない絶対的平等生ーその中で僕はやりたいことを選ぶ。つくる。それが一番楽しいから。

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焦りがないは歳をとったからか

2012.10.29

腰痛以降、腰痛でも作業ができる作品(デジタル)を進めていたら、筆の感覚が遠くなっていくような気がして、さっきまでデッサンをしていた。道具である鉛筆との接点が掴み切れないでいる。目が使われていないような気がする。目−手−脳システムが上手く連動していないような、いや、道具の介入をシステムのどこかで遮断しているような…。
 
散歩をしたのも、肉体と外界との接点を一歩一歩確認するかのようだ。体や脳がそれを望んでいる。中学生ぐらいの男子が走って、うんていにジャンプをして摑まっていた。今の自分の体ではそれは出来ない。吊るされるのが精一杯だろう。明日はそれをやろう。
 
しかし、そこまではデジタル作品でも問題がなく、道具の介入をすんなりと体に入れられるかだ。筆が遠くに感じる。一歩ずつやろう。天も地も逃げないのだから。

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こんな時にはこんな時の

2012.10.26

腰痛で座って作業ができないので立って作業していたが、どうにも集中できないので「The 30 years work」の制作を止めて、横になるか散歩をしていた。すると、そんな状態でも制作できる作品が思いついたのだった。しかも、以前の作品からしっかりと続いており、「やっぱり愛されてるのだな」と思う。

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久々ひとに薦めるもの

2012.10.25

腰痛でダウンの中、『DONUT vol.1』が届いた。
 
編集者が本当に伝えたいものを優先して作った、そんな雑誌というのが読んでいて伝わってきて、とても大好きな雑誌だと思った。「一般の音楽誌に比べて少し高いです」とホームページに書いていたけれど、既に中身が少し汚れてたけれど、そんなのおかまい無しに良い雑誌だ。
 
作り手が「ロックンロール大好きだぜ」っていうのと、「どうしても伝えたいことがあるんだ」っていう意志が伝わってくる。それに、僕もロックンロールになってしまう質だしね。
 
推測でしかないが、今の時代、雑誌に限らずモノをつくって販売することって大変なことなんじゃないか。数少ない知人たちも口を揃えて「大変」と言うからに、並大抵のことじゃないだろう。結局、僕も一般的な方法ではないやり方で作品を流通させている。しかし、その中身は僕のやりたいことや大好きなことが詰まっているし、どうせ人の手に渡るのだったら、そういうモノの方が良いと思っている。
 
そんで、この『DONUT vol.1』という音楽誌にも似たような魂を感じた。久し振りに、すげぇ良い本を読んだ。腰痛でダウンもまんざら捨てたもんじゃないな。

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ただ、それだけのことなのではないか?

2012.10.20

作品に懸ける姿勢を誉めていただく時、どうしても気が引ける。好きなこと、自分の核となることに正直になるからこそ、作品を極めたくなるのであり、反面、恣意的であったりと他人に迷惑をかけていることが度々あるはずだ。もちろん、そのことを貶されたら気持ち良くはないが、誉められるほど立派なことでもないはずだ。
 
作品をつくり続け、寿命か何かは知らないが、そのうち死ぬ。ただ、それだけのことなのではないか?

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これしかやってこなかったことに気付いた

2012.10.18

経験した事柄の、最初に抱いた気持ちを思い出している。あの楽しさ、あの悲しみ、あの憎しみ、あの怒り……最初というのはどれも小さく、その後に交わってくるもので層になり、大きくなっていく。しかし、どれも同じ俺。帰るべき中心点はどの気持ちでも同じ……作品をつくることが楽しかった。それが、最初の記憶。
 
お金と医療を施され、一人で過ごすことを強いられた中、つくることだけを覚えた。その後、子どもや大人がいる社会に放り出され、馬鹿さ加減を利用し、お金と力を回すことを覚るのと並行して、怒りと憎しみを膨らませ、復讐を計画していた。この時、作品の声は遠ざかっていた。
 
しかし、つくることを続けるような生き方を、要所で選んでおり、幾度となく、救われてきた。そして、毎日つくる生活が始まり、再び作品の声が聞こえるようになった。それから、もう10年以上経っている。作品への、つくることへの、恩返しの時期に入っている。それに気付く頃、最初の気持ちを思い出し、どの気持ちでも全て自分であり、作品であったと感謝している。

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作品のように

2012.10.7

目を閉じて歩いたり、走ったりすることが多くなってきた。自分の周りにある空気や五感を、心の底から信じられるような感覚の時に、自然と目をつぶっている。「この心持ちのまま、作品をつくることができたら…」と思い、制作を想定してみる。手を前に出し、下から上へ、上から下へ…大判作品になるが、今週から大判の筆入れを始める予定であることを思い出した。「へへへっ」と口元が緩む。目をつぶり、先ほどの心持ちになり、「俺も作品のようになれたら」とおもう。

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さくさく

2012.10.3

更新
 
(黒の作品、昼間の光沢モニターやスマフォだと何が描かれているか全くわからん……)

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美味しい名前

2012.10.2

制作、運動、昼寝、瞑想、食事会の組み合わせで日々が過ぎている。人と会うのは週一回ペースに落ち着き、時間がゆっくりと過ぎている。すると、好戦的な性格は影を潜めてくれるので助かる。
 
肩肘張る言葉を飲み込んだり、思い浮かべたりする必要もなく、ポジティブ言語が溢れる場は良い。しかも、ご飯やお酒が美味しいと気分は上々なのだが、名前を覚えるのが苦手なので、時間が経ったときの「何だこりゃ?」は治らない。
 
名前 —— 僕が、(戸籍も含めて)名前を持っている必要もないんだぜ ―― と考えているのも覚えられない要因なのだろうな。作品をつくるのに名前は必要なく、作品が視えるか、作品の声が聞こえるかが重要だ。僕は技術信仰のところがあるが、実際、名前で技術は扱えない。けれども、デザインだとそうもいかないから、名前を覚えられるんだけどね。畢竟、意識の問題なのだろうな。

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