Archive for 2012.7

論語

2012.7.31

『論語』(訳注:金谷治、発行:岩波文庫)を読んでいた。読み始める前は、もっと説教くさい内容なのかと思っていたら、違っていた。その本の中に編まれていたのは、今の時代でも通用する、今の時代でも必要とされている事柄であり、しかも一遍が簡潔に記されていた。僕はビジネス書を読んだことが無いが、ビジネス書というのはこういうものを言うのではないだろうか? と唸ってしまったほどだ。
 
そして、短編が集まって編まれた『論語』に表れてくる孔子の人柄は、清く正しい完全無欠の仙人みたいなものではなく、喜び、望み、ちょっと意地悪な今の時代にもいそうな人だった。そして、この人の元で学んでみたいなと思わせてくれる人であり、「あの世」というのがあるのなら会ってみたい人が、また一人増えたのたのだった。
 
古典を読むといつも思うのだが、必要な言葉は既に書かれている。しかも、長い年月を経て残ってきただけあって、その中の言葉達は今の時代に編まれるものには出せない強靭さが備わっている。しかし、残ったことで培われる強さというのは、生きている瞬間には味わえないのだから、我ながら作り手というのは少々さびしい職業だな。

納品とシリーズ再開

2012.7.28

半年も掛かってしまった作品の納品も終わり、ほっと一安心。再び、『観』シリーズが進み出したが、間に何作品かはさんだことによって変化が生じるのだろうと予感している。とりあえず取り掛かる前は「あぁ、また大変なんだなぁ…」と気乗りがしなかったが、手を付けてしまえば脳や視覚が冴えてしまって手が動いてしまうあたりが現金な体質だな、と我ながら思う。

要に還る

2012.7.27

ふと、今回のプロジェクションは面白いな、と思った。今までのように、建物内で展示を行えば、その会場は人工物であるために、会場の作り手の「気持ち」や「どんな狙いで建造したのか」、「企画意図」を考えていけば、展示する作品を活かす方法は自ずと見つかり、そこから導き出されるシミュレーション通りに進めていけば、搬入日のささいな調整だけで上手いこと展示は完成する。そして、これを繰り返していけば自ずと作家としてのキャリアは積み重ねられ、鋳型は安心感を生み、気付かずに怠慢を歩んでいる。
 
上記のことが通用しないということは、失敗するかもしれないということであり、「どうしたら上手く進むだろう」かと当初は不安が先行していた。しかし、今は「面白いな」と思い、自然に還ることや、受け入れること、一人で耕すということを楽しんでいる。
 
蜂がやってきても、こちらが何もしなければ勝手に去っていくし、フナムシもこちらを取って食おうとしているわけではない。彼らの動きを読み、遮らないように導いていけば、共生はできるはずだ。
 
だいぶ前にもこんなことを考えていたはずだが、そうだとすればいつ忘れていったのだろうか。まぁ、いっか、その都度気付いていけば。おそらく、繰り返す度にバージョンアップしているはずだ。八の字(8=∞)の中心である要に還っているのだろう。

告知

2012.7.19

今月から進めている映像作品の上映場所の告知ができるようになりました。近くなったら詳細をアップします。予告編が出来たらそれもアップしようかな〜。
 
************
 
「越後妻有アートトリエンナーレ2012 関連イベントmujikobo企画 GARDEN 写真→映像」
 
2012.8.25
18:00~20:00(プロジェクション)
20:00~21:00(トークイベント)
 
@越後妻有アートトリエンナーレ2012 十日町エリア名ヶ山地区
 
************

直進と遠回り

2012.7.18

僕らは非力な職業だな、とちょくちょく思う。誰かを治すこともできないし、お腹を満たすこともできない。出来ることといえば、活力の種になるような感動をつくるということぐらい。知恵に繋がるような発見をつくることぐらい。そんな遠回りにみえるようなことしか出来ていない。けれども、これが面白いから辞められないんだよな〜、とも思っちゃう。
 
そんなことを最近思ったのは、友人の「疲れがとれなくなってきた」という一言だった。どうしたらこの人の疲れを今すぐに緩和することが出来るだろうか、と考え、軽口を叩いて笑かすことぐらいしか思い浮かばなかったのだった。こういう時、お笑いの方だったら何て言うのだろうか、と考えていた。
 
今、お米を炊いているのだが、たとえ10年前に買った炊飯ジャーだとしても香ってくるお米の匂いは、直接的に幸せな気分にしてくれる。