Archive for 2012.1

今週

2012.1.27

 怒濤な週も何とか乗り切り、心地良い睡魔がやってきている。年を重ねて何故か周りと異なるのは、昔よりも感動をしやすくなっているところだ。昔よりも呆れることも多くなったが、逆に減ったことといえば「キレる」ということだろう。つまり、キレることが少なくなったかわりに(少なくなるとともに)、感動と呆れが増えたということか。その逆もまたしかり。これは面白いぞ、内省のしがいがあるな。

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満員御礼

2012.1.22

昨夜のトークショー&レセプションは満員御礼。
天候不順の中、たくさんの方にお越しいただき、ありがとうございました!

展示はスタートしたばかり、コンセプトブックも順調に販売中なので、これからも良い作品をつくっていきたいと思っています。
 
(何の前触れもなしに、生まれて初めて孤独を理解される言葉をかけていただき、面喰らいました。これが年長者の為せる業なのでしょうか? 恐るべし。。。)

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本日の告知

2012.1.21

今日はG/Pでの展示のオープニング。18時からトークショーで、その後にパーティ。よろ

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報告

2012.1.19

明日はG/Pでの展示の搬入。
 
明後日はG/Pでの展示のトークショーとレセプション。
みんな来てね。
 
限定500部で超豪華内容のコンセプトブックも発売されるので、
みんな来てね。
 
よろ。

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『「いき」の構造』における手腕

2012.1.13

 年末から九鬼周造さんの『「いき」の構造』を読んでいた。多くの方々が薦めている本でもあり、僕が既に読んでいるとも思われているぐらい、有名な本でもある。
 
 読んでみての感想は、「文章の作り方が上手いな」という作者の手腕に感心していた。言葉というのは生き物であり、同じ単語でも昔と今では使われ方が異なるものも多数あり、その性質はどんな言葉にも当てはまる。そんな言葉を題材にしてしまったがために、事例をとりあげて、そこから抽象的意味合いに進めていけば、その時代にのみ通用する結論になってしまっていただろう。しかし、この本は違った。「序説」で「いき」という題材の展開の仕方を注意深く述べ、言葉における意味と環境との関係性を提示しながら、「いき」にまつわる意味を明らかにしてから、より外側へ向かっていく。
 
 今の時代にも通用する方面から語り、読者と共通理解の幅を持たせてから、より具体的な事例を挙げていき、最終的にはまた戻っていく。つまり、輪廻のように話を進めていき、終らせていくのだ。その進め方は、最後に登場する注釈で「生」、「息」、「行」、「意気」の関係性について述べている箇所においても同様であり、「生」が「息」へ、「息」が「行」へ、「息」と「行」が「意気」へ、そして「意気」が「生」に帰ると言い、文章が結ばれる。
 
 年末から新年早々、良い文章を読んだ。

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『127時間』を観て

2012.1.8

 ダニー・ボイル監督作『127時間』を観た。事実と知らなくても、結末への予想は簡単に出来るタイプの映画だが、全く飽きさせる事なく、むしろ魅入ってしまう脚本・映像は流石としか言えなかった。
 
 彼の映画が好きなのは、どん底を見せた後に希望を見せてくれ、その希望が(方法として最良かどうかは別として)掴み取るものだというところだ。しかも、映像の進め方がねちっこくなく、衝撃度を併せ持ったテンポの良さで見せてくれる。生存している作り手として、「すげぇな」と背筋を伸ばしてくれる人の一人である。

しかし、最近はシャキっとすることばかりなので、どこかで弛緩させないとなぁ。

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なるほど

2012.1.5

いま井上雄彦さんのwebにある本人筆の言葉を読んでいて、「その人の内側にある『真実』、エッセンスにたどり着けるかどうかわからないがそこを目指した道程を示すことだ」という箇所のところで、先日から手掛けている1枚に対して「あぁ、そうだったんだ」という気持ちが湧いてきた。
 
今も制作進行中の「観」は肖像写真なのだろうし、そういう意味では、「1枚1枚で完結した作品」とした当初からの思惑は当たっていた。そして、そこで必要になるのは、今までは作品の本質を掴み取ることだったものから、その人の本質を掴み取り、僕の観えたその人の形を描くことだった。
 
けれども、先日から始まったものは、既にお亡くなりになった人であり、その人の若かりしときの写真が情報としてあるだけである。そして、その写真から「この人はどんな人だったのだろう」という洞察が巡らされ、その考えは、依頼者の想いとは重なる部分があるだろうが、重ならない部分の方が大きいのではないだろうか。けれども、その人が実際にどんな人であろうと、依頼人の抱いていた印象がどんなものであろうと、制作されるであろう1枚が、今は単なる情報でしかない写真の中のあなたに辿り着こうとした歩みになっているに違いない。そう思うと、自信が出てくる一方、身の引き締まる思いがした。

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謹賀新年

2012.1.2

明けましておめでとうございます。
 
地元の朝霞に日帰りで戻り、駅から家路まで散策を含めて歩いていた。僕の通っていた幼稚園は名前を変え、中学校は高校の隣に移転し、中学校があった場所には小学校が移転するという懐かしいのか、無くなった寂しさを感じていいのかよくわからない状況になっているのだが、昨年、ニュースにもちらほら取り上げられた、米軍跡地の工事のフェンス脇を歩いている時の胸中は穏やかではなかった。
 
「俺達の街だ」
 
そんな言葉とともに奥歯の辺りが熱くなった。しかし、街を歩いていて懐かしさや寂しさを感じるようになっているということは、自分は既に余所者の気配がしているのだろう。人は流れるし、全てのものは流れている。
 
そんな種類のことと重なるが、新年早々、重い仕事を引き受けてしまった。むしろ自分から「やらして下さい」と言ってしまった。お亡くなりになった人を甦らせることは出来ないが、その人の生きた証を今の想いと重ねることは出来るはずだ。しかも、ノスタルジーに浸ることはなく。これは遺影と呼べるのだろうか。引き受けたはいいが、思った以上に大変かもしれない。

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